ない。普通の人間の住居《すまい》へ入ってさえ、人は被《かぶ》りものを取るのを礼儀とする。霊場として人のあがむる屋内で、仮りにも頭巾《ずきん》のままの通行は許し難いものがある。まして女のことです。女も躾《しつけ》の悪い、物を知らない女ではなく、見たところでは、服装と言い、人品と言い、立派に教養の備わっている婦人でなければならない身が、こうして覆面のままで堂内室内を見て歩くということは、どちらから言っても不作法千万と言わなければならぬ。
 しかし、さようのことに頓着のない覆面の婦人は、ずんずんと堂内室内を見て廻りました。態度の不作法なるに拘らず、この婦人の建築のながめ方には勘所《かんどころ》を心得たものがある。ただ、物珍しい建築として見るのではなく、果して秀吉以来の古建築の名残《なご》りがどこにひそんでいるのか、ということをまで吟味しながら歩いていると見れば見られる。
 女の身で、古建築を古建築として見るほどの鑑識を持ちながら、その建築の中で覆面を取らない不作法を敢《あ》えてしているのは、いよいよわからない態度だが、世間には知識があって道徳に欠けたところの人はあるものだ。
 かくて相当に、
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