した。
 しかし、この不祥千万な光景も、検視が進行し、掃除が励行されると共に、ほとんど何の痕跡もとどめず、早朝に来たものでさえも、そんな不祥がこの場で行われたということを気づくものはありません、水を流したように綺麗になってしまいました。あとから目の色を変えて見舞に来た遠方の檀家《だんか》の者に向って寺男が、
「そんなことがござんすまいことか、おおかたお花さん狐が、ちょっとお道楽にそんな芝居をして見せたまでのことでござんしょ、ごらんなさい、松の木の下の池のほとりも、塵一つ汚れちゃおりませんがな。だが、このほとり近いところに、そういう噂《うわさ》があってみると、御油断なすっちゃいけません」
 全く、悪魔の領域は夜だけのもので、昼になって見ると、惨劇も、腥血《せいけつ》も、夢より淡いものになりました。お寺の境内には小春日和がうらうらとしている。その日中に、少女を一人連れた参詣の女客がありました。ちょっと見ては、またかと思われるほど――この女の参詣客は覆面をしておりましたのが、昨晩のあの第二の覆面とよく似ております。
 よく似てはいるが、内容はたしかに似ても似つかぬ男と女とです――今日の日中の
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