太夫の位の下に隠形《おんぎょう》の印《いん》を結んだかと思われる。
 ですから、犬も、この第二の悪魔をば問題にしないで、三々五々、鼻を鳴らしてのそりのそりとやって来るが、その鼻先が、どうしても松の根方から離れない。
 やがて、先頭をきった餓えたる犬が、例の棄子の幼な児の籠のほとりまで来ると、にわかに鼻息が豚のように荒くなると共に、その荒い鼻息が、泣き倦《う》み、笑い倦んで、ようやくすやすやと夢に入りかけたところの幼な児に向って吹きかけました。そうすると、続くところの三々五々の野良犬が、一度に鼻を鳴らして幼な児の籠を取囲みました。

         六十二

 それからあとは惨澹《さんたん》たるものであります。おしゃぶりも、ピーピーも、風車も、でんでん太鼓もケシ飛んで、ミルクであり、摺粉《すりこ》であるべき徳利はくわえ出されて、その余瀝《よれき》が餓えたる犬の貪《むさぼ》り吸うところとなりました。
 幼な児は、ここで火のついたように泣き叫びました。
 今まで、笑うにしても、泣くにしても、いちいち気分本位でありましたが、今後のはそうではないのです。自己の生存を直接に脅される危険からの号泣
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