でしたが、相手はそれを頓着すべき動物ではありませんでした。
 この分でいれば、幼な児の食いごろな肉体そのものが、忽《たちま》ち貪る犬の餌食に供されてしまう。犬は穀食動物であって、肉食動物でないという通則は、餓えたる場合は通用すまい。
 幼な児は、その生存の危急のために号泣しました。餓えたる犬は、その生存の必要のために幼な児を食おうとする。群がって、なぶり食いに食おうとする。
 その時に、松の根方に彳《たたず》んでいた第二の悪魔も、こらえかねてかちょっと身動きをしました。身動きをすると共に、平静なる呼吸が崩れたのです。当然その身体が餓えたる犬の方に向ってのしかかりました。これは悪魔といえども見過しはできないでしょう。抵抗力のない人類の一箇が、餓えたる畜生のために犠牲にあげられようとする。たとえ悪魔ではあり、夜叉《やしゃ》ではあろうとも、苟《いやし》くも人間の形をしている以上は、人間の権威のために、これを見殺しにはできまい。
 果して黒衣覆面の第二の悪魔は、存在を超越した松の木の中の存在から、呼吸を外して、そうして、幼な児の籠を囲んだ餓えたる犬の方に向うと、その覆面は竹の杖を携えていたので
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