消え去った時分に、例のおさな児の傍に、全く別の人影がありました。あくまでおとなしい児はおとなしい児で、あのとき泣き出したが、ここでまた泣きやんでいました。
 その籠の傍に、今度は全く別な人影が一つ立っている。それは、以前の白衣の女とは似ても似つかぬ、黒衣覆面にして、両刀を帯び、病めるものの如き痩身《そうしん》の姿でありました。
 こうなってみると、この覆面の姿も、断じてお花さん狐の変化《メーキャップ》の一つではない。深夜に餌食《えじき》をあさる鬼の一種には相違ない。
 しかし、鬼だの、変化《へんげ》だのといっても、今時は相当に気が利《き》いていなければならぬ。俗に気の利いたお化けの引込む時分という諺《ことわざ》がある。引込みの大事なのは、花道の弁慶と、内閣の更迭《こうてつ》のみではない。人間の世には戸籍のない化け物でさえも、引込みの時間が肝腎である。さいぜんの物凄い鬼女なども、いわば引込みの時を失ったばっかりに、食うべきものがうまうまと食われてしまった?
 引込みを上手につけるということは、一面に於て自己の分を知るということであります。引込みのつかないということはおよそ醜態の極でありま
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