今、ようやく訊問がはじまろうとする時でした。役人が家の中の床几《しょうぎ》に腰をかけて、川破りの男がその前の土間に突立っている。
「君はドコから来た」
 役人は、土地の船頭共のように甚《はなはだ》しい土音は用いないで、まず通常の標準語で問いかけると、川破りもまたこれに準じた言葉で、
「南部から来申した」
「南部のどこから来た」
「恐山《おそれざん》から」
「恐山? 恐山に住んでいたのか」
「八戸《はちのへ》の生れだが、恐山に修行していた」
「何の修行を?」
「何ということなく、あの山で修行をしていた」
「八戸に生家がござるのか」
「ござる」
「身分は――」
「父はお山改めだ」
「そうして君は?」
「その二男だ、上には兄貴があって、下には妹がある」
「ふーむ、それが、この地方へ何しに来たのだ」
「江戸へ行こうと思ってやって来たのだ」
「江戸へ、何の目的で?」
「何の目的ということはないが、江戸は天下の膝元ということだから、そこで修行をしたい」
「君は最初から修行修行と言うが、修行にもいろいろある」
「もちろん、修行にもいろいろあるが、まず一匹一人の修行をして、男になりたいと思っているだけ
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