咽《むせ》び泣く音が起りました。
仮りにも玄関といえば表の方でなければならないし、昔は大手門であっても、台所門と名を変えた以上は、どうしても裏手の方でなければならない。
そこで、お花さん狐が、覆面の落し差しに化けて、彷徨《さまよ》い出した方面と、今、子供の咽び泣く音の起った方面とには、裏と表の相違がなければなりません。
裏の覆面は推理上異様なものでしたけれども、表の「玄関の松」の下の子供の泣き声はさのみ変化《へんげ》の声とは思われません。時が時、ところがところで、子供だけがひとり泣いているのだから、それは不自然は不自然に相違ないけれども、こういう不自然は人間社会に於ては、いつの世にも絶えない不自然で、深夜、松の木の下の寒空に、乳呑児ひとりだけを泣かして置くという親には、親としての因縁がなければならぬ。つまり、これは棄児《すてご》なのでした。
すでに、どのくらいの時間の前であったか、この松の木の下へ持って来て、産み落して四月ばかりになる人の子を一人持って来て、捨てて置いたものがありました。
親というものは、裸で産み落したにしても、その子を捨てるのに裸ではすてない。時として身分不
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