り、なおまたその扉には矢の根の痕《あと》までついている。しかく英雄によって名残《なご》りを残す一城の大手門なのであって、「お花さん狐」にしてからが、その英雄時代にすでにその同じ城内に巣をくって、長生今日に至るほどの霊狐なのですから、次第によっては歴代の御連枝《ごれんし》以上に信仰もされている。御奉納も豊かである。何を苦しんで深夜を選んで台所口へ残肴《ざんこう》を漁りに出かける必要があろう。
そこで今晩は、特に趣向を変えて、当時はやりの青白い浪人姿となって、ふらりと夜中の散歩を試みたと見れば見られる。
左様に覆面こそしているが、忍びのいでたちはしていないし、忍びの呼吸にもなっていない。この通りふらりふらりと着流しで歩いてはとまり、とまっては歩いているのだから、兇悪なる屋尻切《やじりきり》の目的を以て外間からこのところへ狙《ねら》い寄った白徒《しれもの》でないことは確かです。
大通寺の境内は広いから、夜更けてのお花さん狐の散歩区域に不足はない。
五十四
こういった化け物が、長浜別院の境内にそぞろ歩きをはじめた時分――これも有名な「玄関の松」の木の下方で、子供の
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