熱心家が御所望でしたら、只《ただ》で差上げてもよろしいと存じていた品でございます」
「盗んだ奴は、あれを持って行っても始末に困るだろう、もしな、御主人、帰りまでにめっかったら、わたしが所望いたしたい」
「よろしうございますとも。全く仰せの通り、盗んだ奴も、あれを持って行ったところで、それこそあけて口惜《くや》しき、というところでございましょう――いずれその辺に放り出してあるかも知れません。時に、お連衆《つれしゅう》のお方にも御異状はございませんでしたか」
 伊太夫が引連れて来た四人の同勢のうち、三人までは、伊太夫の部屋を守護するような陣形で別室へ寝ましたが、これらはなかなか用心が厳しくて、寝ている間も油断がなかったのかどうか、更に被害の形跡もありませんでしたが、その最後の下男の茂作が、この騒ぎにまだグウグウと眠っている。
 これを起して見ると、こいつが鬱金木綿《うこんもめん》の胴巻がないといって急に騒ぎ出しました。命から二番目のものを取られたほどに騒ぎ出しましたが、宿の者は、あんまり問題にしませんでした。
 この男の胴巻では、取られたところで知れたものだと、頭から見くびってしまって、ロ
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