が何を書いていたのだか、そのことには、あんまり注意しなかったのです。しかし、今となって、こいつ、なかなか曲者だと考えたものですから、ひとつ読んでみてやれという気になりました。
無論、それは三藐院のことだから、書いてあるのは和歌に相違ないとは思うが、この和歌が、古歌であるか、或いは三藐院自らの作になるものであるか。
伊太夫は、そういう心持で特にこの掛物の文字の解読にとりかかってみると、
[#ここから2字下げ]
置くは露
誰を食はうと鳴く烏
[#ここで字下げ終わり]
と二行に認《したた》められてあったので、ひどく頭をひねらざるを得ませんでした。
これは和歌ではない、発句だ。三藐院とある以上は、誰が考えても和歌でなければならないはずなのに、こう読みきったところでは、発句であるほかの何物でもない。
三藐院が、書画ともに堪能《たんのう》であられたことは知っているが、発句を作られたことは曾《かつ》て聞かない。また三藐院が発句を作られる道理もないと思う。連歌の片われかと思えばそうではない、立派に独立した発句になっている。と同時に伊太夫は、この発句が、たしかに誰かの句であったということの記憶
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