の事情は篤《とく》と見ているし、土音方言がわからないにしても、日本人の言語であって、おたがいの怒罵喧噪《どばけんそう》の性質も、表現も、呑込んでいるのですから、要領を得ることはさのみ困難ではありません。
 渡場守《わたしもり》とその加勢の人数の方は、主張するのに渡頭《わたしば》の規則を以てし、その規則破りを責めるのに相違なく、渡って来た方は、しかするのやむを得ざるに出でた理由を抗弁しているのに相違ないのです。
「わしは道を急ぐから、川あ越して来たまでのこんじゃ、それがどうした。いったい、貴様たち、人を責める前に、なぜ自ら顧みることをせんのだ、かように両岸に人が溢《あふ》れて舟を待って焦《じ》れおるのに、貴様たち一向舟を出すことなさん、緩怠至極じゃ。おのれらの緩怠を棚にあげて置いて、人を責むるのが不届きじゃ、人を責むるならば責むるように、己《おの》れの怠慢から見てせい」
「わや、わや、わや」
 川破りが抗弁すると、それを取巻いた渡頭守《わたしもり》の味方が土音方言をもって、わや、わや、わやとまぜ返すのです。
 田山白雲は、ともかくその現場へ行って見るために、その小高いところを下りながら川
前へ 次へ
全551ページ中13ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング