《こひょう》の長刀の男を取囲んでしまいました。本来、小さい身体なのですから、雑然たる多勢に取囲まれては、忽《たちま》ち姿を呑まれてしまうのは是非もないことで、多勢の中に呑まれてしまうと、田山白雲としては、もはや遠眼鏡を以てしても、肉眼を以てしても、その男の姿を認めることはできなくなって、ただすさまじい喧々囂々《けんけんごうごう》だけを耳にするばかりです。
「あぎゃん、こぎゃん、てんこちない、たんぼらめ!」
「渡し場には渡し場の掟ちうもんがあるのを知らねますか?」
「そぎゃん川破りをお達し申せば、お関所破りと同罪ぎゃん!」
「棹《さお》を出し申すまで待たれん間じゃござんめえ、とっべつもない!」
「けそけそしてござらあ。いってえ、こんたあ、どこからござって、どっちゃ行く!」
「わや、わや、わや」
 思いきって土音雑音を発揮するらしいが、別段、手出しには及ばないようです。

         五

 取巻く土地の人々が、思い切って土音を発揮する上に、取巻かれている当の男が、またその男特有の地方音をもってあしらっているのだから、白雲の耳に、そのまま移すことができないのは道理だが、しかし最初から
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