前に手早く差し込んでしまったのか、或いはまだ差していないのか、その辺がわからないうちに、右の人物は鉄扇様のものを手に持って、太鼻緒の下駄を足に突っかけて、河原の石をガランゴロンと踏み分け、両肩を聳《そび》やかして、さっさと、逃げ隠れもわるびれもせずに、こちらへ向って闊歩《かっぽ》して来るのであります。
 白雲は、もはやこの男の人品骨柄から、衣類持ちものまでも見るのに遠眼鏡を要しません。頭こそ元服はしているが、年齢はまだ若い――おそらく十七八歳を出でまいと見られる若者でした。袴を穿き、鉄扇を持っている。長い刀、それは最初遠目に見たところと更に違いはないが、問題の脇差はついに見当らないということに結着しました。
 つまりこの男の腰には、長い刀の一本だけ横たわっていて、そうして他の差添えというものは何もないことを知ってみると、どうも変則な武装だと思わずにはおられません。
 脇差はどうしたのだ。
 差し忘れたのか、本来差して来なかったのか、それとも、只今の乗切りで川の中へ取落しでもしたのか。
 田山白雲がよけいな心配までしてやっている時分に、法螺《ほら》の貝の手勢が、真黒くなって早くも右の小兵
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