反対の側、白山道の方からです――身を現わした最初の一人は、まごうかたなき仏頂寺弥助――やや後《おく》れてそれにつづく丸山勇仙。
「たしかにここで人声がしていたよ、来て見ると誰もいない」
「そうそう、たしかに女の声でうたをうたっていた、しかも甚《はなは》だいい声で唄っていたに相違ない」
「それを楽しみに来て見ると、どうだ、誰もいない」
「では、あちらの下りに向いたかな」
「いいんや――うたがぽつりと消えたのが心外じゃ、あれだけに意気込んで唄っていたのだから――向うへ下るにしても余韻《よいん》というものが残らなければならない」
「それは、ぽつりとやんで跡形《あとかた》もないのだから、こいつ、我々の来ることを知って、怖れをなして隠れたな」
「或いはそうかも知れん」
「しかし、いい声であったよ」
「声だけ聞いていると、まさに惚々《ほれぼれ》したいい声であったが……姿を見ると案外の代物《しろもの》、後弁天前不動《うしろべんてんまえふどう》という例も多いことだから、むしろ見ない方が我々の幸福であったかも知れない」
「だが、それにしても心残り千万、声のいい奴が、きっと姿が醜いときまったわけのものじゃ
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