、自分の左の方だけが最初から椅子が一つ空いていた。他のすべては満員になったけれども、ここだけ特に自分のためにあけて置いてあったかと思われるように残されていたそのところへ、今になって不意に人が現われて、無雑作に席に就こうとしたから、それで驚き呆れたのではなく、その人の全く思いもかけない風采《ふうさい》の人であったから度胆をぬかれたのです。神尾ほどの人だから、たいていの人間が現われたからといって面負けをするはずはないのですが、この時ばかりは呆気にとられました。
 というのは、その現われた人の風采が、全く想像も及ばなかったからのことです。つまり、そこへ今ごろ現われたのは、盛装した一個の西洋婦人でありました。
 その西洋婦人が単に西洋婦人でありさえすれば、神尾としても、これほどまでに面負けがして狼狽《ろうばい》するはずはなかったのです。西洋ホテルの食堂へ西洋婦人が現われるのは、茶室の中へ茶人が出入りするのと同じことなんです。それに現に眼の前にも、髪の赤いのと、目玉の碧《あお》いのとの一対がいるのですから、そう顛倒するには当らなかったのですが、いま現われた西洋婦人が、極めて滑《なめ》らかな日本語
前へ 次へ
全439ページ中393ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング