ていないことは申すまでもないが、考証を正確にするために、ここに元亨釈書の和解の一節を掲げてみましょう。
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「久米仙ハ大和国上郡ノ人ナリ、深山ニ入テ仙法ヲ学ビ松ノ葉ヲ食シカツ薜茘《へいれい》ヲ服セリ、一旦|空《くう》ニ騰《のぼ》ツテ故里《ふるさと》ヲ飛過グルトテ、タマタマ婦人ノ足ヲ以テ衣《きぬ》ヲ踏洗フヲ見タリシニ、ソノ脛《はぎ》ハナハダ白カリシカバ忽《たちま》チニ染著《せんぢやく》ノ心ヲ生ジテ即時ニ堕落[#「堕落」はママ]シケリ、ソレヨリ漸《やうや》ク煙火ノ物ヲ食シテ鹿域《ろくゐき》ノ交《なか》ニ立却《たちかへ》レリ、サレドモ郷里ノ人モシクハ券約ノ証文ニ其名ヲ連署スル時ハミナ前仙某ト書キタリケリ……」
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 右の一節と比較してみても明らかなる如く、道庵は「深山ニ入テ仙法ヲ学」ばんためにこの胆吹山に来たのではなく、「松ノ葉」を食せんがために来たのでもなく、ただ、やや類似しているのは「薜茘」をどうかしようとの学術的探究心に駆《か》られたのでありまして、久米仙あたりとは、根本的に性質と目的とを異にしている。それにです、第一、相手方の方にして考えてみ
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