雪ちゃんとしては、そういうことに触れると、何か現実のいたましいとげ[#「とげ」に傍点]にでも刺されたような気にもなると見え、
「米友さん、そんな話はよしましょうよ、長浜で見た、何か珍しいことをお話しして頂戴な、長浜ってところは、昔太閤様のお城があったところでしょう、今でも人気が大様《おおよう》で、大へんいいのですってね」
「うむ、湖辺へ出ると、なかなか景色はいいな」
「綺麗《きれい》な娘さんがいたでしょう」
「さあ、それはどうだったか」
 きれいな娘がいたかどうか、そのことはあんまり米友としては観察して来なかったらしい。
 しかし、お雪ちゃんの、綺麗な娘さんがいたでしょうとわざわざ尋ねたのも、べつだん心当りがあって言ったのではなく、京都は美人の本場、長浜も京都に近いところだから、婦人たちも相当に美しいだろうと、こういう淡い想像に過ぎなかったのです。
「大通寺って大きなお寺がありましたでしょう」
「そうさなあ――別においらはお寺を見に行ったわけじゃねえんだが」
「あのお寺の大きな床いっぱいに、狩野山楽の牡丹《ぼたん》に唐獅子が描いてあって、とても素晴しいのですってね、米友さん見なかった?
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