、お代官だのという連中に出くわすよりも、出くわさない方がいい、というのは、馬を除いた一行の、すべての心持です。ただ、番頭たちは戦々兢々《せんせんきょうきょう》として被圧的におそれているのだが、米友のは、小うるさいから会いたくねえという癇癪《かんしゃく》の一種に過ぎないだけの相違です。
かくして左右は一団になって、畷道《なわてみち》のようになっている広い道を石田というところまで来ると、果して――ここででくわしてしまいました。
単にでくわしたといえば、そりゃこそお代官――か役人と合点するでしょうが、そうではないのです。多くの人民が、その石田村の庭場の内外に溢《あふ》れ返っているところへ、この一行が通りかかったまでのことです。
「さては、一味ととうか!」
と米友が意気込んでみたが、忽《たちま》ちその意気込みを、いともなごやかに解消してしまった糸竹の音。群がる群衆の中から、笛や太鼓の鳴り物が賑《にぎ》やかに聞え出したものですから、米友は忽ち安心しました。いかに泰平な世の中とはいえ、三味線太鼓や笛つづみで百姓一揆を……てなものはありそうもない。
お祭だ! お祭の一種に相違ないという観念が頭へ来たものですから、米友も思わず力瘤《ちからこぶ》を解いていると、駄馬に附添の番頭は心得たもので、
「はあ、雨乞踊《あまごいおど》りがござる、ひとつ見て行きましょうか」
「左様ですな」
「兄さん、雨乞踊りがあります、この雨乞踊りはこの地方の名物でございましてな、他国にも、あんまり類がございませんから、ひとつ見ていらっしゃいませ」
「うむ――」
と米友が言ったのは、肯定でもなければ否定でもありません。米友は、なにも雨乞踊りを見て悪いとは主張しないけれども、いいと賛成したわけでもないのです。それは双方に解釈ができる、常の場合ならば、左様な名物をちょっと立寄って見ることを、さのみ否定はしないが、今は非常時である、非常時だと言っても、このあたりに戦雲が動いているわけでもなんでもないけれど、さきほどから米友の観察と、頭脳とを以てすれば、なんとなく不穏なものであって、非常時気分がする――この際、悠長に雨乞踊りなんぞを見物するために道草を食うことは策の得たものではない――という心持がしないではないのです。といって、非常時そのものが、まだ具象的に眼前へ現われたのではないのですから、一概に僅かの享楽と慰安をまで禁止してしまわなければならないほど、事態が切迫しているとは思われない。そこで、米友としては、肯定とも否定ともわからない返答をしているのだが、事態はそんなことには頓着せず、番頭も、馬子も、呑気なもので、馬を道わきへ置きっ放しにして、早くも雨乞いの踊りの庭へ乗込んでしまったのですから、米友もいまさら甲乙を言うべき隙間もなく、自分もつい引込まれて、その祭の庭へのぞきに行きました。
それが、ただこれだけなら、まだよかったのでしょうが、ちょうどそれとほんの少しばかり遅れて、東の方、北国脇街道を経て来たものと覚しい、ワッショイワッショイが一つありました。
このワッショイワッショイは、あの名古屋の枇杷島橋《びわじまばし》で道庵を挟撃したそのファッショイ連とは違って、これは、三ぴんでもなければ折助でもなく、正銘のこの地方の若い衆が大勢、景気よく一つの長持を担《かつ》いで、飛ぶが如くに、こちらへやって来るのでありました。
両替の馬と番頭米友らの一行が、祭の庭を見ることがもう一足|後《おく》れたなら、当然ここでバッタリと鉢合せが起ったのでしょうが、その間に二三分の差違があったのですが、ここへ来て、鳴物入りの踊りのあるということを認めたのは同じで、同時に彼等の好奇心が、やっぱり両替の一行と同じように、この地方古来特有の名物、雨乞踊りの古雅なるものをのぞきたいとの慾望から、ワッショイの気勢を頼んで、そうして彼等は総くずれになって、ドヤドヤと祭の庭になだれ込んだのは是非もなく、それは同じ道草にしても、両替の一行の方はみんな相当の穏かさを持っているのに、ワッショイの方は、血気盛りの若衆揃《わかいしゅぞろ》いですから、むやみに気が強くなっていてたまりませんでした。今まで景気よく担《かつ》ぎ上げて来た長持は大道中へおっぽり出して、立見の総見になだれこんだのです。せめて、もう少し老功者でもいたことならば、同じおっぽり出すにしても、多少は道の傍らへおっぽり出して置くだけの遠慮はあったでしょうが、気の強い若い者の集まりだけにそれが無かったのです。こうして、石田村の祭の庭は踊りに繁昌しましたけれども、前の街道には馬と箱とが狼藉《ろうぜき》におっぽり出されているところへ運の悪い時は悪いものです。
そこへ例の老中差廻しの検地の役人の一行が、東の方から威儀堂々として通りかかったのです。
そこでこの、虎狼も三舎を避けるはずの江戸老中差廻しの検地役人の一行が、この長持と駄馬とのために行手を遮《さえぎ》られてしまったのですから、これはただで済まされないのが当然です。
「これは何だ!」
咎《とが》めようとしても相手がない、叱りつけようとしても相手が長持と駄馬では張合いがない。ただ張合いがないだけで済めばいいが、こういう際に、こういう品物が置かれてあることは、一層その激怒を煽《あお》ろうとも緩和するわけにはゆかないのです。のみならず、これはこのごろはやる、ややもすれば下剋上《げこくじょう》の階級闘争を煽るやからの一味ととうの故意にした振舞! 公儀役人に悪感情を持つやからが、わざとその出張を見はからってした嘲弄だ! こういうふうに解釈されたから、いよいよたまらないのです。
そうでなくてさえ、ややもすれば役人を誘って反抗気勢を揚げようとする、土百姓の分際で生意気千万! 今後の、この地方一帯への見せしめのため――老中差廻しの検地役人の一行が、ことごとく怒髪《どはつ》天を衝《つ》きました。
怒髪は天を衝いたけれども、差当り、その怒気を洩《もら》すべき対象物とては、長持と馬とのほかにありません。そこで、期せずしてまずその長持に手がかかるや否や、傍らの水田の中へがむしゃらに抛《ほう》り込んでしまい、駄賃馬に向っては、持合せの間竿《けんざお》で、その尻っぺたをイヤというほどひっぱたきました。
長持の方は田圃《たんぼ》に抛りこまれてもべつだん悲鳴もあげなかったけれども、駄賃馬は、いやというほど尻っぺたをひっぱたかれるや否や、悲鳴をあげて一時竿立ちになったけれど、直ぐに驀地《ばくち》という文字通りに駈け出しました。その駈け出した方向というのが、鳴物入りで群衆を集めている雨乞踊りの祭の庭であります。
このことがなくっても、馬があばれこまなくても、もう大方の雲行きで感得されるのですが、馬が驀地《まっしぐら》に駈け込んで来たので、群衆も、鳴り物も、雨乞いの祭の庭もあったものではありません。
右往左往の大混乱――それは、事実上、暴れ馬を一頭、人混みの中へ放してみれば、誰にも想像の行く大混乱が湧き上りました。
「お代官様だ!」
もう遅いのです。現場へ馳《は》せ戻って来た長持の若衆《わかいしゅ》たちは、いちいちその場でひっくくられて、ピシピシとなぐりつけられています。うろうろして近づく奴等は誰彼の容捨がなく引捕えて、ぴしぴしと縄をかけられるのです。
ですから、混乱の上に、大恐怖が加わりました。
相手が悪い!
全く相手が悪いに相違ない、お代官となれば、小大名のお代官でも大抵、怖《こわ》いものの看板になっている。それが大公儀直通の検地お代官なのだから始末が悪い!
みるみる引っくくられたものが束になって、幾十人というもの縄つきが、田の中にも、道の傍にも押し転がされてしまいました。村の相当の口利《くちき》きがお詫《わ》びに出て来ても文句を言わさず、それもぴしぴしと縛り上げられてしまうのだから手がつけられません。
かかる時、宇治山田の米友はどうした。それだけが一つ、この際の仕合せでありました。米友はこの騒ぎの途端に、表へは出ないで裏へ廻ったのは、お代官の鋭鋒をそれと知って避けたわけではなく、それと知れば、よかれ悪《あ》しかれこの男としては、役人のぴしぴし人見知りなくふん縛る現場へ飛び出して来ずにはいられないのでしたが、米友がそこへ出ないで裏へかけ出したというのは、ひとり難を避けるという気になったのではなく、暴れ出した駄馬を取抑えんがためでありました。米友としては、検地の役人の一行の余憤でこの馬が、イヤというほど尻っぺたをひっぱたかれたから、それでこうして暴れ出して来たのだとは思いもよりません。何かに驚かされて馬が暴れ出したのだが、何がこの馬をこんなに暴れさせたかということの詮索《せんさく》よりも、この際、この通り暴れ出した現場を取抑えることが、第一の急務でなければならないと悟ったのです。
そこで、一途《いちず》に取抑えに向ったけれど、本来、馬を取抑えるということは、向って来る奴を行手に立ち塞がって取抑えることの方が遥かに容易なので、それを追いかけて抑えるという段になっては、かなわないのがあたりまえです。なぜならば、四ツ足と二本の足です。ことに米友のは、その二本の足も一本は不満足なのですから、それで馬と競争はまず覚束《おぼつか》ないと思わなければなりません。
しかし覚ついても、つかなくても、それを追わなければならない急場の形勢でしたから、どうもそのほかに仕方がありません。
群衆の中へ追い込まれて、また更に群衆から驚かされた暴れ馬は、畔道《あぜみち》を、ただもう走れるだけ走っている、その後を米友が懸命に追いかけているのです。ですから、馬が止まらない限り、米友も止まれない。無軌道に走って行くのは是非もなく、走れば走るほど、街道の役人の一行と民衆との混乱の現場から離れて行くのは是非もないことで、しかし、これだけを以て見れば、それは検地役人一行のためにも、米友のためにも、むしろ幸いであったということを、米友の知れる限りの人が是認し且つ安心する。
一方怒髪天を衝《つ》いて、片っぱしからちかよる民衆をひっくくり上げた検地役人の一行は、いったいこの村は何という村? と詰問した時に、江州《ごうしゅう》石田村と聞いて、また彼等の心証を悪くしてしまったのは、やっぱり時の運でした。
「ナニ? 石田村、江州石田村? ではあの逆賊治部少輔の生れ故郷だな、道理で!」
役人がグッと胸にこたえたこなし[#「こなし」に傍点]です。
実際、その通りでした。ただ、石田村だけでは何のカドも立たない平凡な村名ですけれども、石田治部少輔三成の生れ故郷とあってみると、事が大きい!
二十三
石田治部少輔三成は、畏《かしこ》くも神祖家康公に向って、まともに弓をひいた逆賊の巨魁《きょかい》である。
さればこそだ、ここに不逞《ふてい》の徒があって、我々の行手を遮り、その威光を汚そうと企てるのは、つまり大公儀そのもの、神祖の御威光を無視するも同様である。なるほど、石田治部少輔の故郷なればこそ、これを捨て置いては御威光にかかわる。
検地の役人は、多分そんなふうにまで憎悪《ぞうお》が進んでいったらしい。そこで、いったん怒りが鎮まれば聞き置かるべきことも、いっさい耳を閉《とざ》され、お詫びがかなうべきこともかなわない形勢に悪化したのは是非もありません。名主に預けっぱなしで置いて、やがて御免のあるべき性質のものが、そこから長浜へ正式に護送という段取りになったのは、情けない出来事です。
誰が何と言っても、この地名が石田であり、三成であることの限り、救われない事態となってしまった! よしこれらの長持をかついで来た若衆《わかいしゅ》が、実は中仙道筋の柏原駅外の若衆であって、彼等は何故に、こんなに勢いこんで長持をかついで来たかといえば、それは昨日、駅外で素人《しろうと》芝居を催した時に、その衣裳道具を長浜の然《しか》るべきところから借り出して来た、それを芝居も無事に打上げたから、多少の礼物をそえて、こうして若衆手揃いで返しに行く途中
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