でもないものに、この土地のことを尋ねようとしたのはこっちが悪い、第一、人間と話をするのに人間の方へ眼を着けないで、釣の方ばかり見ていたのは礼儀に欠けていた、君はこの長浜というところへはじめて来た人らしいな」
「うむ、はじめてこんなところへ来てみたんだ、こんなところへ自分から来てみようなんてつもりはなかったんだが、人に頼まれたんで、余儀なくね」
「そうか。で、長浜というところはなかなかいいところだろう」
「うむ、景色はあんまり悪くねえな」
「景色ばかりじゃない、ほかにいいところが幾つもある」
「ほかにいいところが幾つあるか知らねえが、今この土地へ来たばっかりのおいらにはわからねえ」
「わからないはずはない、お前は太閤秀吉を知っているだろう」
「冗談言いなさんな、太閤秀吉を知らねえ奴があるか。こんだもここへ来る途中、おいらの先生と一緒に、わざわざその太閤秀吉の生れ故郷の尾張の中村というところへ行って、供養をして来たくれえのもんだ」
「ほほう、それは近ごろ奇特のことだな。それで、君はやっぱり太閤の名残《なご》りがなつかしいものだから、この長浜へもやって来たんだな」
「そうじゃねえ、長浜へ来たのは、来るつもりで来たんじゃあねえのだ、頼まれたから、よんどころなくね。だから、太閤秀吉と長浜が何をどうしたか、そんなことはいっこう知らねえ」
「ははあ、君はそれを知らないで長浜へ来たのか」
「知らねえよ」
「そりゃいかん、尾張の中村や、摂州の大阪だけの太閤秀吉ではない、この長浜は、太閤によってあらわれ、太閤は長浜によって出世したといってもよい。太閤が藤吉郎の時分、ここへ城を築いて、それまで今浜といわれたこの町を、その時から長浜と改めたのだ」
「ははあ、そうだったかなあ」
「石田治部少輔三成も、ここではじめて太閤に知られたのが出世の振出しだ」
「そうかなあ、だが、どっこにもその城が見えねえじゃねえか」
と言って、米友は、今更のように、前後の光景をクルクルと見廻しました。

         二十一

 そこで、この浪人者は、米友の言語応対に相当の興味を得たと見えて、わざわざ釣竿を石の下へさし込んで、立ち上って米友の傍へよって、御同様にあたり近所をながめながら、まず太閤の城あとから指して米友に教えました。
「そうら、この前のが多景島《たけじま》で、向うに見えるのが竹生島《ちくぶじま》だ――ずっと向うの涯《はて》の山々が比良《ひら》比叡《ひえい》――それから北につづいて愛宕《あたご》の山から若狭《わかさ》越前《えちぜん》に通ずる――それからまた南へ眼をめぐらすと、あの小高い木の間に白い壁がちらちら見える、あれが井伊掃部頭《いいかもんのかみ》の彦根城だ。それからまたずんと南寄りに、石田三成の佐和山の城あとが一段高く、その間の山々にはいちいち古城址がある。臥竜山《がりゅうさん》の山上にもう一つ秀吉の横山城――それから佐々木六角氏の観音寺の城、鏡山、和歌で有名な……鏡の山はありとても、涙にくもりて見えわかず、と太平記にもある、あれだ。それから三上山《みかみやま》、近江富士ともいう、田原藤太が百足《むかで》を退治したところ――浅井長政の小谷《おだに》の城、七本槍で有名な賤《しず》ヶ岳《たけ》。うしろへ廻って見給え、これが胆吹の大岳であることは申すまでもあるまい。それに相対して霊仙ヶ岳――」
 その浪人者が、わざわざ立って指しながら、してくれた一通りの説明によって米友の眼が、またそれぞれの内容を備えてかがやきました。
 だが、もう帰らなければならない。
 少々暇つぶしをし過ぎたきらいがある。それで米友が、
「どうも有難う――おいらは、もう帰らなけりゃならねえ、会所へ両替の使に来たんだから、少し間《ま》がのび過ぎた」
「そうか――では、帰り給え。しかし、気をつけて帰り給えよ、それは拙者から言って聞かすまでもないことだが、今日は別して、通行に気をつけなくてはならん」
「それは、どういうわけなんだ」
「それはな、さいぜん、それ、君に向って尋ねたろう、検地の代官がこの土地へ来たか来なかったか、そのことをうっかり拙者が君に尋ねたろう、それなのだ。いいかえ、今日、乗込んで来ようという検地の代官は、代官は代官でも、ちっと目方のちがった代官で、江戸の老中から特別に差遣《さしつか》わされた検地の勘定役人だ」
「江戸の役人であろうと、ところの代官であろうと、おいらには別に当り障《さわ》りはねえ」
「むろん、君には当り障りはないが、この地方一帯のためには大きに当り障りがあるのだ。こんど来た検地の役人というのは、今いう江戸の勘定役人で、市野|某《なにがし》という者だ、北陸地方からずっと巡り巡りてこの近江の国に入り込んだのだが、本来この市野某というお役人が、心術がよくない、老中を肩に着て横着があるというので、到るところで人民から怨《うら》みを受けている」
「ふうむ」
「その市野某なる者が怨み憎まれているという原因には、人民側のために大いに同情すべき理由があるのだ。この勘定方がしきりに賄賂《わいろ》を取る」
「そいつがいけねえ、役人の賄賂を取るのが一番いけねえ、賄賂を取る役人に限って、曲ったものを真直ぐだというのはまだいいとして、真直ぐなやつを曲ったものにしたがる」
「それだ、こんどの勘定役が老中の威光を肩に着て、ほとんど日本中をそうして検地をして歩くのだが、仙台とか、尾張とか、それからこの江州へ来ても、彦根藩あたりの強いところに対しては全く見て見ぬふりをするが、力の弱い小藩だと見ると、賄賂を出さなきゃうんといじめ抜いて尺を入れる、だからそれらの土地の良民が怨み骨髄に徹している。なんでも寄合って、この長浜へその到着するのを見計らい、思い切って陳情してみるのだということだ」
「うーむ、それだな、さっきあの舟で、人が続々と向うの草ッ原へ集まって来たのは」
「それだそれだ、拙者がこうして釣をしている鼻づらを、その舟がずんずん漕《こ》いで行ったのはたった今のこった」
「そうだとすれば、そいつは大変なことだ」
「大変なことだ、まさか老中差向けの役人に危害を加えるようなことはあるまいが、勢いの赴《おもむ》くところではどうなることかわからない、君子は危うきに近寄らずということもあるから、君も帰りには気をつけて、そんな場面にさわらないように通りなさい」
「なるほど」
「拙者の如きも、こうして釣を楽しんでおればこそだ、そうでもなければ、必ずしも君子ではないから、ついつい危うきに近寄るようなことになったかも知れない。それを思うと釣というものは有難いものだ、釣を楽しんでいると、世の中のことを忘れる」
「世の中のことを忘れるのも考えものだよ、自分だけ楽しめば、人は難儀をしても知らねえという了見は、どういうもんだかなあ」
「うむ」
と言って浪人者は、米友に胸のすくような返事が与えられないために、やむことなく黙するかのように見えました。そうすると、こんどは米友の方から、
「うむ、そうしてみると、どのみち、一味ととう[#「ととう」に傍点]だな」
「え?」
と、こんどはその悠々たる浪人ものが狼狽ぎみの返事であります。つまり、してみると一味ととうだなと米友が独《ひと》り言《ごと》のように唸《うな》ったのは、右の草ッ原へ集まった連中を回想して言ったのであるが、言い廻しがぶっきらぼうであったために、そうは聞えないで、この浪人ものそのものが一味ととうの片割れだな、そのものに向って貴様も一味ととうの片割れだなと呼びかけたように響いたからでしょう。
 しかし、米友は即座にそのつぎ足しをして次の如く言いました。
「気の毒なことに、あの草ッ原に集まった人たちは、その検地のお役人とやらにぶっつかれば、もうどうしても遁《のが》れられねえ一味ととうになっちまうだろう、一人残らず佐倉宗五郎になるのか――どうもかわいそうだ」
 そこで浪人者は、自分のことを言いかけられたのでないと安心し、
「いかにも、ああなってはのがれられない一味ととうだ、すべてがみんな佐倉宗五郎の気持だろう」
「うむ――」
「役人につかまって一味ととうの片割れと思われてもつまらん、人民の方へ廻って間者《かんじゃ》と間違われてもあぶない、だから帰る時はよく気をつけてお帰りなさい」
「どっちみち、早く帰らなけりゃならねえ、御免よ」
と言うと米友は、ムラムラと自分の使命のほどを思い迫ったものだから、そのまま挨拶もなく、もと来た道へ向って駈け出してしまいました。
 釣の浪人ものは、その体《てい》を見て、あまずっぱいような微笑を湛《たた》えたかと思うと、ほどなくこれも匆々《そうそう》として釣道具をおさめて、つないでおいた小舟へ飛び乗ると、自ら艪《ろ》を押してさっさと南浜の方へ向けて漕ぎ出し、忽《たちま》ち葦の間に隠れて影も形も見えません。

         二十二

 宇治山田の米友が、会所へ馳《は》せ戻って見ると遅かりし、馬はもういないが、たずねてみると、地団駄を踏むがものはない、今のさき出発したが、まだ、この町で買物がある、それで先発しているから、あとを追って来るように――買物店はこれこれで、帰り道は都合によって、来た時とは違ったこれこれの道を通って帰るから――細かい伝言で絵図面まで添えてある。
 米友はそれによって馬のあとを追いました。
 都合によって来た時とは別の道をとって帰る、その都合というのは、どうもこの際来た時の道は物騒である、例の一味ととうの連中でも代官をようしているおそれがあるのではないか、それで、わざと避けて別の道を取ることにしたのだ、どうも、米友にもそう思われてならない。
 いずれにしたって、そう遠いところではない、目と鼻の間、呼べば答えるところにあるあの胆吹山の麓のことだから、同じ用心棒でも、東路《あずまじ》の道のはてから遥々《はるばる》の用心棒とは違う――ではひとつ追いかけてやろう。
 米友は教えられた通りの道を追いかけました。来た時の道を帰れば、石田、大原から北国|脇往還《わきおうかん》を横切って春照《しゅんしょう》に出るのだが、帰る道としては七尾へ廻るだけのものです。
 かくして米友は、教えられた通りに、両替の馬のあとを追いました。
 ところが、いよいよ心配無用、裏道の棒鼻まで廻る必要はなし、早くも町の真中で、ぱったりとその馬に出くわしてしまいました。無論、馬の脇には番頭と馬子がちゃんと無事に附いているのです。ただ違ったのは、馬が夥《おびただ》しく荷物を背負わせられている。夥しいといっても、それはカサだけで、正味はそんなに重いものではない、新生活に必要な家具類が――行燈《あんどん》からとうすみ[#「とうすみ」に傍点]に至るまで、積めるだけ積込んである。見た目のカサは大したものだが、重量はそんなではないから、馬は平気な面をしてのこのこと歩いて来る。
「兄さん、お待たせ申して済みません」
と、早くも米友の姿を認めて、先方の番頭から言いかけられて、米友がはにかみました。どちらがお待たせ申して済みませんだかわからない。
 なお、その番頭さんの言うことには、表街道が物騒がしいようだから、裏街道を通るつもりでしたけれども、こうして、兄さんにここでお会いしてみれば、どうもわざわざ裏廻りをするのはやめにして、やっぱりもと来た大通りを帰りましょう。
 そうさ、それに越したことはない、なにも、こちとらは盗み泥棒をしたわけじゃなし、天下の往来を、逃げ隠れをするような真似《まね》をしなくてもいい――米友も直ちに同意しましたから、そこで、一行が無事に長浜の町を出て、もと来た道を帰ることになりました。
 それでもこの一行のおそれるところは、途中、その江戸の御老中からの検地のお役人というのに出くわさなければいいがな、出くわしたところで、自分たちは、いま兄さんの言う通り、盗み泥棒をしているわけじゃなし、年貢の滞納や、隠田《かくしだ》のとりいれをごまかしているという弱味もないのだから、強《し》いて御無礼をしない限り、おそれるわけはないのですが、それでも、道中、お役人だの
前へ 次へ
全21ページ中16ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング