名を空しうせしめざるほどの期待がなければならない。ひそかに伝うるところによると伊達政宗は、いつかこの土地に天子の行幸を期待し奉る大望があって、このために、特にこの「御座の間」が設け備え奉られたのだということだ。
 ありそうなことだ。
 それともう一つ、この瑞巌寺の天井のいずれかに、千人の甲を伏せて音もさせない、俗に「武者隠しの間」があるそうだ。そういうことは必ずしも当てにならないが、とにかく、明朝はひとつこの寺の構造をもう一ぺん見直してみよう。絵画彫刻の類も一応――いやこれは自分には少々畑違いだ、いずれ白雲画伯を紹介してよこすことにしよう――というようなことを感じているうちに、それでも瞼《まぶた》がようやく重くなってくるのはやむを得ないことです。もうかなりの夜更け、先晩、田山白雲が仙台城下で、美にして才ある婦人と語って興が乗り、ようやく離れ座敷で眠りに落ちようとしたのとほぼ同じぐらいの時刻でありました。
 唐戸《からと》のような大きな障子が、すうーっとあいて、有明の行燈《あんどん》の中が、にわかにまたたきをはじめました。
「誰じゃ」
 その時の駒井の驚き方も、あの時の白雲の驚き方も全く
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