ってはいるが、土木建築となると、さほどに興味がないし、絵画彫刻となると、なお一層でした。
ところが、こうして見ると、この寺を建てた政宗の規模を思い起さないわけにはゆきません。
瑞巌寺は、寺ではなくして城だ――表は寺の構えにしてあるが、これを建てた最初の政宗の規模は城である。陽寺陰城とでもいうのかな、昔の大名が城としては持てないのを、寺として置いて、他日に備えるという用意は、この瑞巌寺に限ったことではない――加藤清正なんぞもその著しいもの、大名のうちの殊に大きなやつは、みんなそのくらいの用意を持っていた。
あの当時は、造船の見学に多忙で、名所旧蹟の探訪に疎《おろそ》かでもあったが、今度はひとつその辺から瑞巌寺の規模を見直すかな、城としての寺の構造、要害としての地形を、明日になったらもう一ぺん見直してみよう。
こうして駒井は眠られないままに、高い天井を眺めて、うつらうつらと伊達政宗のことを考えているうちに、ふと、この寺に「御座《ぎょざ》の間《ま》」があって、そこへは政宗が、いかなる貴賓をも立入らしめなかったという由緒の一間がある。といって、「御座の間」とある以上は、何かひとたびその
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