げ》なるものの口の端《は》にものぼらない先に、この宝物の御動座がなければならぬ。
釣台にのせられて、これが非常な警護をもって、仙台より城内へ運び去られたのは久しい後のことではありませんでした。しかし、この大きな獲物の内容に就いては秘密に附されただけに、松島から青葉城下へかけて、さまざまの下馬評と、見て来たような当て推量が、事実らしく伝えられたのは是非もありません。
この宝物こそ――伊達家秘宝の一つ、三宝荒神の前立《まえだて》のある上杉謙信公の兜だったというものもあります。いやいや楠木正成卿の兜だというものもあります。そうではない、伊達の大御先祖の軍配であったという者もあります。いやいや名代の武蔵鐙《むさしあぶみ》に紫|手綱《たづな》でござりました、という者もあります。長光《ながみつ》の太刀だというものもあれば、弁慶の薙刀《なぎなた》だと伝える者もあります。軸物は世尊寺家の塩釜日記だとか、古永徳の扇面であったとか、ついには王羲之の孝経であったというような説が、紛々として起ったけれど、事実、誰も現品を見たものはない。縁の下から出て、一路御宝蔵へ逆戻り、いわば闇から出て、闇へ消えたような
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