たわけじゃないから、もう一休み、ゆっくりと寝ましょうよ、ね、マドロスさん……」
それは、兵部の娘の声であります。この女性の声が乱闘の中へ流れ込んだものですから、それで獣の噛合《かみあ》いのような渦巻がいくぶん緩和されたものでありました。
それを聞くと、甲板の上で、駒井甚三郎とお松とが、言い合わせたように足を止めていると、マドロスの声で、
「お嬢さんと、寝る、寝る、よろしい、寝る、寝る、よろしい、チーカロンドン、ツアン、バツカロンドン、ツアン」
急に御機嫌が直ったマドロスが足踏みおかしく、よろよろとよろけた体を、兵部の娘に持たせている様子が手にとるようです。
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もえさんと
寝る、寝る
よろしい
チーカロンドン
バツカロンドン
ツアン
[#ここで字下げ終わり]
まさしく茂太郎の株を、この不埒《ふらち》なるマドロスめが奪って、そうして、兵部の娘にあやされながら、その寝室の方へと転げ込んで行く様子が、いよいよ手にとるようです。やがて一切の喧囂《けんごう》が拭うたように消え去ってしまいました。
甲板の或る一点に、申し合わせたように足を止めた駒井甚三郎とお松は、そこ
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