いる怪しいものが一つ――睡眼に触れると、さすがの白雲がハッと身を起して、枕許の刀をとろうとしたのです。
「何者だ!」
 白雲として、自分ながらかなり慌《あわただ》しい挙動であると思ったが、事態、そうしなければならない場合を、先方は全く静かなもので、
「先生、お静かに」
と、たしかにうずくまった奴が、説教でもはじめるように物を言いかけました。
「何だ、何者だ、貴様は」
 白雲は半分起き直って、刀を引寄せていました。そうして、もう睡眼がパッと冴《さ》えた眼で見ると、行燈の下にうずくまっている奴は、旅の合羽《かっぱ》を、肩からすっぽりと着て、頭には手拭を米屋さんかぶりに捲いている。
「先生、お約束によって参上いたしましたが、少々遅くなって相済みません」
 でも、まだ白雲には、はっきりと納得《なっとく》ができない。
「貴様、どろぼうの端くれだな、貴様たちと約束をした覚えはない」
 大抵のどろぼうならば、この豪傑画家の白雲から一喝を食えば、尻尾を捲くであろうのに、こいつに限ってどこまでも、いけ図々しい。
「お忘れあそばしましたか、日中、あの名取川の川原でお目にかかりました、蛇籠作りの老爺《おやじ
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