さいぜん貴公の家士が稀代の名筆を分捕られたそうな、それを一目拝見が致したい」
「容易《たやす》き儀でござる」
三斎もそれを否《こば》まん由はなく、今し甲士が分捕って齎《もた》らしたばかりの一巻をとって、政宗の手に置いた。
政宗それを取り上げて見ると、唐太宗親筆の序――王右軍の筆蹟――独眼竜の一つの目が、その全巻の中へ燃え落ちるばかりになっているのを見て、急に驚き出したのは細川三斎であった。
この勢いでは、この男に持って行かれてしまうかも知れない――所望と打出された以上は、相手が相手だけに、どうしても只では済まされない、ここは先手を打つよりほかはないと、老巧なる細川三斎は、政宗と王羲之《おうぎし》とをすっかり取組まして置いて、穏かに楔《くさび》を打込んだ、
「伊達公の御来駕《ごらいが》を幸い、密談にわたり候えども、かねがねの所存もござること故、折入って御相談を願いたい儀は――」
と、改まって物々しく出た。王羲之に打ちこみながら、政宗は、
「何事かは存ぜねども、御心置なく申し聞けられたい」
「余の儀でもござらぬが、太閤殿下の威勢によりて天下は一統の姿とはなりつるが、これで安定とは、我
前へ
次へ
全227ページ中34ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング