いうものは、本にまとまって出るずっと以前に、必ず口頭で伝えられてなければならないはずのもの、現にこの伊蘇保《いそほ》物語などにしてからが、二千年前、ギリシャという国で、イソホという人が著したということになっているけれども、事実はそれよりも千年も前に、同様の話が行われていたということ、イソホはそれらを上手に集め成したのだろう――日本でも、文禄時代に肥前の天草《あまくさ》で翻訳される以前、いずれの国人にも最も耳あたりのよいこの物語が、言い伝えられ、語り伝えられていないというはずはなく、まして、海外交通の最も便宜の多かった山陽道方面の要地を占めていた毛利元就の知識となることは不自然ではない。元就が最期の時に、あれを利用したのは、元就その人の教養と遠慮とを知るに最も適格な話として受け容れられるということなどを説明して聞かせてくれた。そのあと、お松が、
「殿様、こんなに結構な御本ですけれども、ただ一カ所、ほんとうになさけないと思うことがございます」
「それは何です」
「イソホさまが、養子に御教訓なさる言葉のうちに、『妻に心を許すな、平生、意見を加えい、すべて女は弱いによって、悪には入り易《やす》
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