なおわからないところは、二三問いただしているうちに、さいぜんのあの一つの不快な、さげすまれの語源を知ることができました。
 仙台及びその附近では、江戸弁を称して、すべて折助言葉というのである。仙台では、品格ある家庭に於ては、江戸弁を用うることを決してしない。鈍重にして威儀ある、純然たる仙台弁を用うることを貴しとしているが、もちろん、軽快なる江戸弁は、用いようとしても用いられないにきまっているが、その模倣の軽薄を避けることが土人の品格となっている。若い者などが、たまたま江戸弁などを使ってみせると、家中では、何だ折助みたような言葉づかいをする――といって卑《いやし》める。それは江戸へ出て折助奉公をしたり、商家の小僧なんぞに住込んだものが帰って来ると、往々江戸弁をつかうものだから、仙台の城下では、江戸弁そのものを軽薄なもの、下等なものとしてひんせき[#「ひんせき」に傍点]する――そこで、今も、白雲はなまじい関東弁をもって子供たちに問いかけて、かえって、折助言葉のさげすみを買った所以《ゆえん》がよくわかりました。
 白雲は、そんなことに恐縮しながら、なお相当に問いただしているうちに、この店へ、
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