出合頭《であいがしら》にムクが一声吠えると、
「まあ、ムク」
バッタリ行会った先方の人影が、狂喜の叫びを立てて、この犬に抱きついて、
「ムク! 遅かったねえと言いたいけれども、考えてみると、お前の来るのが遅かったのがよかったかも知れない、お前の来ることがもう少し早かろうものなら、かえって大変なことになったかも知れない、今となっては……どうしていいか、わたしにも分らない」
と言ったのは、まごうべくもないお松の声であります。
無論、この絶望に近い呼び声に対して、なんらの表情をも返すことのできない畜生の身ではあるけれども、ある一種の意気込みを示していることだけはたしかであります。
この犬の性質と、挙動と、それから性質と挙動から起る表情を知り抜いているはずの人には、夜であろうとも、表情の機関が働こうとも働くまいとも、その気合は充分に受取れるのです。代って言ってみれば、
「お松さん、どうしたというのです、あなたにも似合わないじゃありませんか、さあ、どこへなりとわたしを御案内して下さい、あなたが行ききれないところへも、わたしなら行きます――あなたが相手になれない相手にも、わたしなら、なるこ
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