……お前、その証拠をひとつ見せてやろうか」
と言って、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百は、後生大事に船の中からここまで抱えこんで来た小箱の包みを今更のように持ち出し、福松の鼻先に突きつけて早くも結び目を解きにかかりました。
「何なの、いったいそれは――」
福松が覗《のぞ》き込むのを、がんりき[#「がんりき」に傍点]は取りすまして、
「こりゃ、その、何さ、おいらが特別にあのお蘭さんからのお預りの一品さ。まあ、どうしてこちらがあのお蘭さんから特別のお預りを持たされるようになったかってえことは聞かないでおくれ、とにかく、あのお蘭さんから、この兄さんが特別に頼まれた一品をお預り申していると思召《おぼしめ》せ、それがこの箱なんだ。ところで、この玉手箱の中身を、ほかならぬお前のことだから、見せてあげようという心意気だ、そうれ、よくごらん」
と言って、結び目を解き終ったがんりき[#「がんりき」に傍点]が、怪訝《けげん》と呆《あき》れをもって見つめている福松の鼻先で、包みの中から出た蒔絵《まきえ》の箱の蓋を取って、いきなり掴《つか》み出したのが金包であります。
「そうら、百両包みが三つ――都合三百両、これがお蘭さんの当座のお小遣《こづかい》さ。ほかにそら、持薬が二三品と、枕本、手紙、書附――印籠、手形といったようなもの」
「おや、おや」
「どうだ、こういうものをお蘭さんが人手に預けっ放しにして置いて、駈落というはおかしなもんじゃねえか、色男と手に手を取って逃げようとでもいう寸法なら、さし当り、この一箱をその色男の手に渡して置かなけりゃ嘘だ、昔から色男になる奴は、金と力が無いものに相場がきまっている、そいつがお前、お蘭さんのつれて逃げたという色男の手に入らねえで、ほかならぬこの兄さんの手に落ちている――してみりゃ、かねてその色男としめし合わせて今度の駈落、というのは嘘だあな」
「じゃ、どうしたの」
「お蘭さんはお蘭さんで、かどわかされたんだね、決して出来合ったわけでも、しめし合わせたわけでもないんだ」
「そうだとすれば、かわいそうね」
「うむ、かわいそうなところもある、第一、駈落には、金より大事なものはあるにはあるが、金が先立たなけりゃ身動きもできるものじゃねえのさ、その大事の金を一文も持たずに連れ出されたお蘭さんという人も、たしかにかわいそうな身の上に違えねえから、ここは一番
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