――それで、このお兄さんの冤罪《えんざい》というものは晴れたわけだが、そうなると今度は、お兄さんの方でお聞き申してえのは、いったいその、お蘭さんと出来てだいそれた主人殺しをやり、国を走ったその浪人者というのは、どこのどういう奴なんだえ」
「それがさっぱりわかりませんのさ」
「わからねえ、お代官の役人の手でも?」
「ええ、もう少し早いと、国境を越す前に捕まえてしまったんだそうですが、うまく国境を出られてしまったから、どうにも手が出しにくいんだそうです」
「国境を出たといったところで、お前、女連れで遠くは行くめえし……それに、日頃お蘭さんと出来ていたっていう浪人なら、たいてい当りがつきそうなものじゃねえか、きのうや今日のことじゃねえ、どのみち、お代官に居候か何かしていた覚えがあるという代物《しろもの》なんだろう」
「ところが、それが全くわからないのですよ」
「わからなければ、草の根を分けても尋ねたらよかりそうなもんだ、国境を出たからといって、たいてい道筋はわかっているだろう……悪い者をふんづかまえるに、近所近国といえども遠慮はなかろう」
「ですけれど、今の時勢で、この高山はお代官地でしょう、近国はみんな城主のものになっていますから、思うようにいかないんだっていうことよ」
「まだるい話だな――じゃ、お蘭さんの奴、色男に手引をして、お主《しゅ》を討たせた上に、手に手をとって、今頃は泊り泊りの宿で、誰はばからずうじゃついているという寸法なんだな――畜生!」
「ほんとに憎いわね、その色男より、お蘭さんという人がいっそう憎いわね」
「お蘭……悪い奴だなあ」
「お前さんなんて、傍へ置こうものなら忽《たちま》ちちょっかいを出すだろう、出すんならまだいいが、出されちまいまさあね」
「ふん、たんとはいけねえが、一度はお近づきになっておいても悪くなかった奴さ」
「その口をつねるよ」
「だがねえ……そこんとこにも、ちっと腑《ふ》に落ちねえ節があるんだ、お蘭様というお部屋様の素姓のほどは、おいらも聞いていねえじゃねえが、このいろ[#「いろ」に傍点]という奴がどうも怪しいものだぜ」
「そりゃ怪しいにもなんにも」
「怪しいといったってお前――お前はかねて、この怪しい奴とお蘭さんと出来ていて、二人がしめし合わせてやった仕事のように言うが、おいらにゃ、そうは思えねえ」
「どうして」
「どうしてったって
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