なおばさんのお化けが、びっくり仰天して立ち上るや、転がり、震動して、その場を逃げ出してしまったのはあんまり意気地がない。
その意気地のないお化けの図体が、こちらの水たまりのところで踏み止まったのを見れば、なんの……これはイヤなおばさんその人の亡霊でもなんでもない、以前、一度見たことはあるが、根っから見栄えのしない、いつぞやあちらの焼跡の柳の下で、どじょうを掬《すく》っていた紙屑買でありました。
この紙屑買の名を、この辺ではのろま[#「のろま」に傍点]清次と言っている。察するところ、この紙屑買ののろま[#「のろま」に傍点]清次は、あの晩、ああして焼跡をせせくった味が忘れられず、何でも焼跡と見ればせせくって、もの[#「もの」に傍点]にしなければ置かない性分と見える。そこで今晩は、イヤなおばさんの焼かれ跡へ眼をつけて、ここまで忍んで来ていたなどは、のろま[#「のろま」に傍点]どころではない、生馬の目を抜く代り、死人の皮を剥ごうという抜け目のない奴であります。
何となれば、あの焼跡では、あんな怖い思いをしたけども、同時に、相当なにか獲物にありついた覚えがある。今はもう、掘りつくし、せせりからしてしまったあとへ、バラック建築がひろがってしまったから、しゃぶってもコクは出て来まいが、それに就いて思い起したのは、あのイヤなおばさんの焼跡である。本来、この町の目ぬきのところを、あんなに焼いて、自分にも多少|儲《もう》けさせてくれた恩人というものは、一にあの穀屋のイヤなおばさんの屍体の処分から起っている。
そのくらいだから、その本元をせせってみれば、まだ何か落ちこぼれが無いとも限らない、あのおばさんの屍体は、とうとう河原の中で焼き亡ぼされる運命におわってしまったが、その焼跡の灰を安く入札したものがあるという話も聞かないし、おばさんの屍体を焼いて、粉にして、酒で飲んだものがあるという噂《うわさ》も聞かない。
身につけたもので、金の指はめ[#「はめ」に傍点]だとか、パチン留めだとか、銀の頭のものだとか、煙草入の金具だとかいうものを、焼灰の中からせせり出す見込みはないか。
紙屑買ののろま[#「のろま」に傍点]清次は、今晩それに眼をつけて、イヤなおばさんの焼灰の跡をせせりに来たものに相違なく、決して最初想像したように、おばさんの亡霊が、心やみ難き未練があって、うきみをやつして化け
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