ろんでしまったものです。
相応院の入相《いりあい》の鐘がしきりに、土手を伝い、川面を伝って、この捨小舟《すておぶね》を動かしに来るのだが、がんりき[#「がんりき」に傍点]の耳には入らないと見えて、暫くすると、またいい寝息で寝込んでしまいました。
この時分、捨小舟とは程遠からぬ川原の蘆葦茅草《ろいぼうそう》の中の、先達《せんだっ》てイヤなおばさんの屍体を焼いた焼跡あたりから、一つのお化けが現われました。
がんりき[#「がんりき」に傍点]の出動するのさえ早い時刻だから、お化けの出動はいっそう早過ぎると見なければならない時間に、お化けがうろうろしている。こんな業の尽きないおばさんの魂魄が、焼いても焼ききれるはずはないから、その焼跡にまだうろうろしていることも一応は不思議ではないが、ここに出現したのは、あの脂身《あぶらみ》たっぷりなイヤなおばさんの幽霊としては、あんまりしみったれで、景気のないこと夥《おびただ》しい。それは自分の焼かれた焼跡をしきりにせせくって、舐《な》めたり乾かしたり、何ぞ落ちこぼれでもありはしないかと、地見《じみ》商売のような未練たっぷりのケチケチしたお化けぶりです。
いっそ、こんなしみったれな真似をしないで、思い切って娑婆気《しゃばっけ》を漂わせ、幸い、最も手近なるところにがんりき[#「がんりき」に傍点]というあつらえ向きの野郎がいるのだから、そこらへ一番持ちかけて行ってみたらどんなものだろう――イヤなおばさんのこってりした据膳《すえぜん》を、がんりき[#「がんりき」に傍点]の奴がどうあしらうか、これは浅公なんぞよりはたしかに役者が上だから、おばさんとしても多少の歯ごたえはあるだろう……たぶんその辺の当りがなければと、あらかじめイヤなおばさんはイヤなおばさんとして、相当のおめかしもしなければならない。いいかげん水びたしにされたり、焼かれたりしたずうたい[#「ずうたい」に傍点]を、なんぼなんでも、このまんまで色男の前へ出されもすまいじゃないか――そこでおばさんは焼跡の土をせせくって、何やら相当の身じまいにうきみをやつしているものだろうか。
ところが、蘆葦茅草の中の一方がガサガサとザワついて、そこから、そろそろと忍びよる一つの物がある。
幽霊もまた友を呼ぶのだろうと見ていると、その蘆葦茅草の中がザワついたと見る瞬間、身じまいをしていたはずのイヤ
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