りして行けば、先方でも驚いて警戒するだろうが、こうして漂いつけば、かえって渡る世間に鬼はなしという道理で、鬼ヶ島へ漂いついたにしたところが珍しがってくれるだろうと思う。もし、また、全く人のいないところへ着けば、そこに鍬《くわ》を下ろしはじめて、我々が開国の先祖となって働くのじゃ」
「それはいいお考えでございます、どうかして嫌われない土地か、人のいない島へ着きたいものでございますが、もし日本のように尊王攘夷で、外国の人と見れば打ち払えという国へ着いては大変でございます」
「いや、日本人だって、そう無茶に外国人を打ち払いはしない、外国と交際をしない国になっているところへ、先方が、軍艦や大砲で来るから、一時混乱しているまでのことだ。尋常に来た漂流船には、食料や水を与えていたわって帰すことになっている。だから我々は、軍艦や大砲の代りに、鍬と鋤《すき》を持って行くつもりです」
と言って、駒井甚三郎は、世界地図の西半球の部分の、大きな二つの陸地続きを鞭で指し示して言いました、
「これが北|亜米利加《アメリカ》と、南亜米利加とです。今、日本人がメリケンといって怖れている国。嘉永六年にはじめて浦賀の港へやって来て、日本中の眠りをさましましたペルリという海軍大将は、この国の、この部分から来たのですが、日本よりずっと国は新しいくせに、ずんずん開けています。それに引きかえて、この南亜米利加の方は存外開けないのです。南|亜米利加《アメリカ》も土地は肥え、気候もいいのだが、北アメリカがずんずん開けるのに、南がそのわりでないのは、一方は剣や大砲でおどかしたおかげであり、一方は鋤《すき》と鍬《くわ》を持って行って開いたからです。つまり今日のメリケンすなわち北アメリカという国を開いたのは、剣と鉄砲の力ではなく、鋤と鍬との力なのです。剣をもって開いた土地は剣で亡びると言います、それに反して、鋤と鍬で開いた土地は、永久の宝を開くわけですからね。私たちは国を開くのに、なるべく剣と鉄砲とを避けなければならないと思います」
駒井の弁は熱を帯びて、その理想を説くのは、ただにお松を相手にしているのみとは思われません。
六十六
「剣をもって国を取りに行くのは、戦争の種を蒔《ま》きに行くようなものですけれど、鍬をもって土地を拓《ひら》きに行くのは、平和の実を収穫《とりいれ》に行くのと同じです。たとえば……」
駒井は、前途の洋々たる海面を油断なく見渡しながら、諄々《じゅんじゅん》として語るには、
「今より約三百年の昔、ヨーロッパの西班牙《スペイン》という国で、最初にこのアメリカを見つけてから、コルテツとか、ピザロとかいう豪傑が押しかけて行ったのですが、これが土地を拓くつもりではなく、全く掠奪のつもりで行きました。掠奪に伴うものは虐殺でしてね、コルテツなんていう男は全くの無学に加うるに六十一歳という年であって、僅かに百八十人の人と、二十五頭の馬を持って行って、この南アメリカの秘魯《ペリウ》という国に侵入してその国を亡ぼし、その宝をみんな奪ってしまったのです。そうして西班牙では五十年間に数億の財宝を奪い、四千万の土人を殺したというから、驚くではありませんか」
「四千万て、たいした人数でございましょうね」
「口でこそ四千万だが、今の日本の国の老幼男女のすべてを合わせても四千万にはなりません。そのほかに生捕って来て奴隷に売った数はいくらあるか知れません。そういうことをして荒したのですから、この土地も拓けません、本国も悪銭身につかずで、決して栄えはしなかったのです。ところが、この北の方へやって来た人間は、最初からして種がちがいました、掠奪と虐殺を目的としてやって来たのではなかったのです」
駒井が鞭で指し示したところは、今の北米のケープコッドの、プロビンス・タウンからプリモスのあたりであります。
「西洋の紀元でいえば千六百二十年、日本でいうと元和六年の頃でしたね、もう豊臣家は全く亡びて、徳川家の治世になっていた時分です、こちらの欧羅巴《ヨーロッパ》のイギリスという国からたった一艘《いっそう》の船が、この大陸の岸につきました、この辺がその上陸点のプリモスというところです」
お松は駒井の指す鞭の頭から眼をはなさず、そうして、よく噂にきくイギリスという国が、こんな小さな島国かということを訝《いぶか》りながら、そこから渡って来た人のあるという大陸の、とても大きいことの比較を見比べていると、駒井はいよいよ調子よく、
「このイギリスから、その時、メー・フラワーという小さな一艘の船――小さいといっても、これよりは大きいですが、無論その時は蒸気はなくて帆前船でした、それに百人余りの人が乗って、この大西洋という大海原を六十日余りで乗りきってここへ着いたのです。その船の乗組の人は前にも言ったように掠奪と虐殺とを目的に来たのではなく、自分たちが信ずるお宗旨を自由に信じたいためだったのですね。どこにもお宗旨争いというものはあるものでしてね、イギリスにいて、自分たちの信ずる教えを正直に信じて、まじめに働いていると圧制があるものだから、そこで、堅い決心をもってこの国に来て、無人の土地を拓《ひら》こうとしたのです。自分たちが、政府や、郷国人から圧制を受けず、正直に信じ、まじめに働きたい目的からこの土地へやって来たものです。ですから、その人たちはみんな正直な、小さなお百姓、小さな商人などであって、軍《いくさ》の上手な人や、人の財を奪う野心家はなかったのです。そこで彼等は非常な刻苦勉強をして、このプリモスという附近に鍬を下ろして、自分たちの食物を正直に自分たちの汗で得ることから出立しました。そういうところに、今日のメリケンの国の強さがあるのです。その国の子孫であるペルリという人が、日本へ来るのに夥《おびただ》しい軍艦と兵隊とをつれて来たということは少し変ですが、とにかく、その国の起りは南の方とちがって、剣ではなく、鍬であったというわけであり、そうして今日になって見ると、掠奪とか虐殺が成功しているか、鍬と労働が成功しているかの実例が、太陽の如く明瞭に示されているというわけです」
六十七
兵部の娘だけが出て来ないのは、船酔いということだけではないようです。
それは階下の船室に寝ていることは寝ているが、常の船酔いがするようにそんなに苦しがっていないくせに、この一室にのみ引籠《ひきこも》って、食堂へも、甲板へも、ほとんど出て来ることはないのです。乗組の人が時々見舞には来ますけれども、それともあまり親しみを取らないようだから、自然、見舞に来る者も少なくなっていますから、ほとんど独《ひと》りぽっちのようなものです。
実のところ、この娘は少し拗《す》ね気味なのであります。最初から船酔いばかりではなく、拗ねて人並にならない原因は、どうもお松が来てから後にはじまっているようです。ことに船に乗込んでから、一層それが船酔いにからんできたもののようです。
お松のみが駒井に信用されて、自分が虐待を蒙《こうむ》るという次第になったというわけではないが、お松の方が、駒井の左右には最も適しているところから、兵部の娘の御機嫌が悪くなったのでありましょう。
そうして、船室に引籠ってみると、誰とてこの娘の御機嫌ばかり取ってはおられないのです。それぞれ持分もあり、仕事もある。ことに駒井などは、船長として、寝る間も油断ができない地位にいるから、このやんちゃ娘のお見舞などが御無沙汰《ごぶさた》がちになるのは無理もないことで、他の乗組とてもこの娘を邪魔物にする人は一人もいないけれども、そうそうかしずいてはおられないのみならず、甲板の上の海上の空気が、またなく人を快活にするものですから、茂太郎でさえ、この娘の方よりは、甲板と、マストと、帆と、ダンスとに親しみが深くなって、もゆる子の病床に来ることは、ホンの思い出した時ばっかりというようなことになったのが、この娘の船酔いをいよいよこじらしてしまったもののようです。
ところが、ひとりこうしてわれと我が身を拗《す》ねて、他の者からそうでもない冷遇を受けているとひが[#「ひが」に傍点]んでいる娘のところへ、忘れずにしげしげと見舞に来たり、以前よりはいっそう親切に世話をしたりしに来る一人の頼もしい男がありました。
その、たった一人の頼もしい男というのはほかではありません、それはウスノロ氏のマドロス君であります。マドロス君は仕事の合間合間には、必ずこの娘のところへ来て、御機嫌を取ったり、御馳走を持って来てくれたり、また暇な時には、歌を唄ったり、手ごしらえの変った楽器を鳴らしたりして慰めてくれるのです。
兵部の娘は、このマドロス君を、最初からウスノロだとは認めきっている。現にこのウスノロのために、自分があられもない辱《はずかし》め(?)を蒙った苦い体験があるに拘《かかわ》らず、本来そんなにこの先生を憎んではいないのです。もゆる子という娘は、性質が悪くひねくれているわけではないが、どこか厳粛なる貞操観念――とでもいったようなものが欠けているらしい。
それは病気のせいか、境遇のためか知らないが、深刻に物を憎み切るということができないようです。ウスノロに無体な襲撃を受けた時も必死になって抵抗もし、のがれようともしたけれども、その罪を問う段になると、存外寛容で、男として性慾に悩まされるのは、あながち無理もない、生立ちの相違で、品がよく見えたり、見えなかったりするまでのことで、性慾に対する男の執着というものは誰も同じようなものだ、大目に見てやってもいい――というような観念を自分から表白してしまって、駒井甚三郎あたりのせっかくの厳粛なる制裁心を鈍らせてしまうことになる。
本来ならば、マドロスに対しても、従来受けた仕打ちからいって、いやな奴、助平な奴、危険な奴として擯斥《ひんせき》すべきはずなのに、その後は忘れたように寛大な待遇をしているのですから、この際の病床を慰めに来てくれる唯一の友人として、マドロスを拒《こば》む模様はありません。
マドロス君は世界の国々を渡り歩いているために、変った唄を数多く知っている。それから、何かと変った楽器を弄《ろう》することを心得ているのもこの男の一得です。もとより渡り者のマドロス上りだから、高尚な音楽の趣味があるはずはないけれども、粗野と、低調ながら、異国情調を漂わせて見せるだけは本物です。
これがもゆる子の拗《す》ねた病床を大いによろこばせました。この娘のよろこびをもって、マドロス君がまたウスノロの本色を現わして、相好《そうごう》をくずしました。
おかしなもので、こうして二人がようやく熟して行くのです。拗ねた病床に於てのもゆる子は、マドロスが早く来てくれないことを待遠しがるようになり、マドロスはまたもゆる子の病床を訪う仕事の合間を見つけると脱兎の如く、この拗ねた病室へやって来るという有様でした。
駒井が船橋《ブリッジ》の上で、お松を相手に熱心に植民を説いている時分、マドロスは料理場から金椎《キンツイ》が得意の腕を振《ふる》ってこしらえた大きな真白いお饅頭《まんじゅう》を五つばかり貰って、それを抱えると、もゆる子の拗ねた病室へ飛び込んで行きました。
「もゆるサン、アナタ饅頭ヲ食ベルヨロシイ」
「どうも有難う」
「金椎サン、料理ウマイ、コノオ饅頭マタトクベツ旨《うま》イ」
「ほんとにおいしそうですね」
「色ガ白イ」
「ほんと」
「ヨク、フクレテイル」
「ほんとに、ふっくりしています、日本のお饅頭よりもおいしそうね」
「見カケモヨイ、中身モヨイ、ウマイデス、アナタ半分食ベルヨロシイ、ワタシ半分ズツタベマス」
といって、マドロスは饅頭の皮を剥いて、ふっくりしたのを二つに割る。
「サア、オアガリ、オイシイ」
「有難う、ほんとにふっくりして、おいしそうなこと」
「オ饅頭、支那ガ本場アリマス、金椎サン上手、オイシイコト請合イ」
かくて二人は、ふっくりしたお饅頭を二つに割って、半分ずつ旨そうに食べている。
「モウ一ツオ食ベナサイ、
前へ
次へ
全44ページ中42ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング