は、そんなに野暮《やぼ》ったいものではありませんでした。貸してくれた金を、封を切って見ると、まとまったのが百両に、別に小出しが十五六両はあります。宿の取持ちはなんらの隔意が無くてよろしい、小娘が運ぶ膳部には川の肴《さかな》に一陶の山酒をさえ供えてある。
外の雨はしとしとと春雨の気分がある。ちょっと障子をあけて見ると、飛騨谷の山が雨にけぶり、飛騨川の断崖に紅葉が燃えている。お蘭はここで、かねがねお代官を喜ばしていた爪弾《つまび》きの一手をでも出してみたい心意気になる。
「ねえ、あなた」
ちゃぶ台のこちらで、身をくの字にしながら、この思いがけない道づれに向ってしなだれかかるような調子は、この女の天性です。飛騨の高山へ生れさせないで、江戸の深川か、京の膳所裏《ぜぜうら》あたりで育てたらと思われるばかりの女です。
「あぶない思いも、こうなってみると変じゃありませんか、なんだか嬉しいような気がして、あの怖ろしかった晩のことが、まるで夢のようでございます、あなたと二人で道行でもしているような気持になってしまいました、夢でしょうか、現在でしょうか、ねえ、あなた」
お蘭はこう言いながら、竜之助の表情の動かない面《かお》をまじまじと見つめ、何となしいい心持になってゆくと見えて、
「黒川屋のおかみさんという人、ほんとうに感心な人じゃありませんか、頼もしい人ね。幼な馴染《なじみ》は親兄弟よりも頼み甲斐のあるということを、わたしは今日、しみじみさとりました。それはわたしとしても日頃少しは尽してあげたこともありますが、こうなってみると、親兄弟よりも他人の方が本当の力になります。ごらん下さい――こんなにお金を、小出しの当座のお小遣《こづかい》まで心にかけて下さったのは、苦労人でなければできません。こんなことと知ったらあの時、わたしの手文庫にあった分だけでも掻き集めて持ち出せばと思われないでもありませんが、それは慾の上の慾というものです、あのおかみさんが貸してくれたこれだけのお金があれば、これからの旅はもう大丈夫ですから御安心ください。二十日あまりに四十両という浄るりがございました、その勘定で行きますと、どんなにしてもこれだけあれば、二人で一月の路用は充分でございます。どうなるものですか、これで京から大阪の方へ、奈良のはたご、三輪の茶屋も悪くありません、遊べるだけ遊んで参りましょう」
と言ってこの女は、これから行く先の日取りまで数えている。
明日は上有知《かみうち》泊り、それから長良川《ながらがわ》を河渡《こうど》まで舟で下って赤坂泊りは苦《く》にならぬ。
その翌日は赤坂を立って、関ヶ原あたりでお中食の後、ゆっくりと近江路へ入って越川《こしかわ》泊り、翌日、越川を立って守山《もりやま》でおひる、湖へかかって矢橋から大津まで渡《わたし》、その日のうちに京へ着くのは楽なもの。
つまり、これから四日|乃至《ないし》五日目には京の土地が踏める、もし、さのみ京へ急ぐことがないならば、途中、近江八景をゆるゆる日程のうちへ入れるのも悪くはありません。
そうでした、京都のこのごろは、物騒千万で怖ろしいということを聞いている。逢坂山のこちら、滋賀の海、大津の都、三井の鐘、石山の月……竹生島《ちくぶじま》の弁天様へ舟で参詣もよろしうございます。
それとも、真直ぐに近江路へ行かずに、変った道草が食ってみたいなら、これから木曾川を船で下って、犬山上りの名古屋見物も異なものではありませんか。
酒がさせる業か、今の身で行先の旅の楽しさに喋々《ちょうちょう》と浮れ出す女の話を聞いていると、お雪ちゃんのことが、竜之助の眼に浮んで来ました。
こんな図々しい女に引きずられて、またも京洛《けいらく》の天地に業《ごう》を曝《さら》しに行くくらいなら、いっそ畜生谷へ落ちようとも、山を下らないのがよかった。
なんにしても、この女も、今晩のうちに殺してしまわねばならぬ女だ。
五十八
しかし、その夜の明け方に、竜之助がうなされたのは、水を飲まんとして、とある山蔭を下って来た時のことであります。
眼の前に展開する大いなる湖を見ました。その周囲の山は、いつぞやお雪ちゃんに導かれて、越中の大蓮華《だいれんげ》であるの、加賀の白山であるのと指示された、それとほぼ同様でありましたけれども、その山脚が悉《ことごと》くこの湖水の中に没していることが違います。
山の飛騨の国を一歩だけ出で、水の美濃の国に一歩だけ入ったとは言いながら、右の夢には、これから導かれようとする京洛の天地も、東海の海もうつらずに、やっぱり山又山の中の湖水でありました。
暁の咽喉《のど》がかわいたから、酔覚めの水を飲みたいつもりで、山を下りて、この湖辺まで来たのですが、さて、飲もうとして汀《みぎわ》に跪《ひざまず》いて見ると、その湖水の色がみんな血でありました。
「あ、これでは飲めない」
竜之助は、差入れようとした掌を控えました。こうして改めて見渡す限りの漫々たる湖が血であることをしかと認め、そうして、これぞ世にいう血の池なるものであろうと気がつきました。
よく地獄の底に血の池というのがあるということを聞かされていた、こいつだな。
漫々たる血の池は、静かなものです。小皺《こじわ》ほどの波も立たず、打見たところでは真黒ですが、掌を入れてみると血だということがわかる、その血がベトベトとして生温かいものであることを感得する。
この深紅色の面《おもて》を見渡していると、その湖一面に、ふわりと白いものが浮き出して来た。それは海月《くらげ》のような形をしているが、あんな透明なつめたいものでなく、搗《つ》きたてのお供餅のような濃厚なのが二つずつ重なったままで、ふわりふわりと次から次へ幾つともなく漂い来《きた》ります。
「でんぶ」
「でんぶ」
「でんぶ」
「でんぶ」
山の峡《かい》や、湖面に打浸《うちひた》された山脚の山から、海嘯《つなみ》のように音が起って来ました。この音につれて、前のベトベトした搗きたてのお供餅のようなのが、一重ねずつになって無数に連絡し、湖面のいずれからともなく漂泊として漂い来るのです。手近いのに杖をさしてみると、それが意外にも人間の臀部《でんぶ》であることを知りました。しかも色の白い、肉の肥えた女の体の一部分だけが、無数にこうして漂い来るのであることを知ると、竜之助は嘲《あざけ》られたように、自分を嘲り返すことを忘れませんでした。
その持てる杖で、ぐんぐん湖面を掻きまわすと、その杖の先について来た藻のようなもののそれが、昆布のようにどろどろになった女の黒髪であることを見て、怒ってその竹の杖を湖面に打込んだが、杖は池の底深くくぐり入って、再び現われては来ません。
「でんぶ」
「でんぶ」
「でんぶ」
「でんぶ」
という風の音か、波の音か、それが山の峡《かい》と、山の脚との間から、絶えず襲い来るもののように聞えるけれども、その風と波とは、少しもこのところまで押寄せては来ないで、ただその真白い搗《つ》きたての餅のような一重ねのみが、深紅な湖面にベットリと浮いたまま、あとからあとから限りなく自分の眼前を過ぎて行くばかりです。
かねて聞いたところによると、男は水に溺れた場合には腹を下にして漂うが、女というものは、それの反対の方を上にして流れるものだという、まだ自分は、それを実際に見たことはなかったが、この池に漂うすべての女は、腹と面《かお》とを見せたものは一つもなく、みんな下へ向いている。
その疑念も久しいことではなく、ややあって、浮んでいたのも漂うていたのも、一様に水底に沈んでしまいました。
「でんぶ」
「でんぶ」
「でんぶ」
「でんぶ」
という波の音(?)のみは消えては起り、起っては消えているが、それとても以前のように耳に襲い入るのではない。
なんにしてもそれは徒《いたず》らに気を悪くする見世物に過ぎない、現実として裂けるほど渇いているこの咽喉を、この血の池がどうともしてくれるのではない、右を見ても、左を見ても、小川の流れらしいものも、清浄な水たまりらしいものも見えはしない、いまさし当っての仕事は、血の池地獄にからかっていることではなく、この湖畔のすべてを巡り尽してなりとも、一滴の清水を求めなければならないことだ。
そうして、竜之助は、かなりいらいらした気持で湖畔の山脚をたどりたどり歩いて行きましたが、別段巌石の足を噛むものもなく、茨《いばら》の袖を引留むるものもない。岩々石々、みな氷白の色をなしているばかり、雪かと思ってその一片を摘んでみれば、灰のように飛んでしまい、氷かと疑って、その一塊を噛んでみると鉄より固い。
見上げるところの高山大岳、すべて同じく氷白の色です。
いつしか自分の身体が、いつぞやお雪ちゃんに導かれて白馬ヶ岳を登った夢の場面と同じような、白衣《びゃくえ》の装いになって、金剛杖をつき鳴らしつつ、この湖畔を歩んでいるのだが、今はもとより導いて行く人もなく、上へ登ろうとするようで登るのではなく、下ろうとするようで下るのでもなく、湖畔の山脚の高低を、徒らに巡りめぐって水を求めているのだが、求める水は一滴も見出せないのみならず、白馬を登る時に見たような、眼のさめるほどの美しい高山の植物もなければ、人なつこいかもしか[#「かもしか」に傍点]や、人を怖れない雷鳥のたぐいも出て来るのではない、生けるものといって、虫けらでさえが一つ眼に落ちて来るものはないのです。
「でんぶ」
「でんぶ」
「でんぶ」
「でんぶ」
曲々浦汀から起る波(?)の音が、またひとしきり聞え出してきては、また納まる。その度毎に血の池の水の色が、猩紅《しょうこう》になったり、緋色《ひいろ》になったりするだけの変化はある。
水を求めあぐねて、ついに張り裂けるばかりの咽喉《のど》を抑えて、もしやと掌を池の中へ入れてみたが、ベトベトとして餅のようにからまる水は見るからに唐紅《からくれない》、口へ持って行けば火になりそうだ。
湖畔をめぐりめぐってついに一つの谷へ来ると、ついに堪え得ず、どっかとその岸に倒れてしまいました。倒れたけれども気性だけはしっかりしたもので、行手の谷をじっと睨《にら》みつけていると、真白いと見た谷は、いっぱいに骨で埋まっていることを知りました。
それも、髑髏《どくろ》の形を備えた骨ででもあってくれれば、まだ多少の人間味もあろうものを、焼けつぶされて粉末に砕かれた骨ばかりをもって、岸の上から反《そ》り下ろされた満眼の谷が、すべて埋めつぶされていると見なければならない。
ああ、こんな骨灰《こつばい》の中を、千尺掘ったからとても、清水の一滴も湧いて出ようはずはない!
絶望|困憊《こんぱい》の極みのところに、いずれよりともなく清冷たる鈴の音が聞えました。
これはまさしく、聴覚上の清水でありました。
味覚の上では、いよいよかわいてめぐまれないが、聞く耳の上では清冷きわまる清水、甘露の響。それはまさしくこの谷つづきの峯の上あたりから降り来《きた》る物の音です。しかも、見上げたところの四囲の絶壁――曾《かつ》て白馬の頂で夢に見た弘法大師が、千足の草鞋《わらじ》を用意して、なお登り得なかったという越中の剣山《つるぎざん》に何十倍すると思われる連脈の上より、何という清冷なる鈴の音だろう。この一つの鈴のみが、天上より落ち来る唯一の物象であり、物心であり、妙音であり、甘露であります。
「たれか来るのだな」
竜之助が、その峯つづきを見上げると、わけて覚円峯のようにすっきりした大巌山の上より、まさしく一箇の物があって動いて来るのを認めました。
その高い峯の上から、絶壁を伝って通して下って来る者、しかもその者によって、この清冷なる物の音が起されていることも疑いありません。
みるみる一点の黒いものが、その灰白の幾千万丈の巌石の間から徐々《そろそろ》と下りて来る、人だ!
あのまた懸絶のところを、一人で降りて来る奴がある。あいつが、この鈴を鳴らしているのだ。
驚いた命知らずだが、
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