は巧妙な譬えでございますが、やはり良斎先生の御質問には御満足を与え得ないと存じます。つまり、麻と縄との同質異相は疑いないと致しましても、そのまま縄を蛇と見るものは衆生《しゅじょう》の妄想といたしましても……現実多くの人の煩悩《ぼんのう》は、怖るべからざるものを怖れ、正しく見るべきものを歪《ゆが》めて見るところから起るのでございまして、多くは皆縄を蛇と間違えて諸煩悩の中に生きているものには相違ございませんが――それは事実上の世界のことでございまして、只今の究竟的御質問には触れてまいらぬのでございます。良斎先生はその二つの譬喩《ひゆ》をお疑いになるのではなく、ただ麻が縄となるその外縁がわからぬようにおっしゃるのでございましょう。麻と縄とが同じものだということはお疑いにならなくとも、では、何者が麻を縄にしたか、その力を知りたいとおっしゃるのでございましょう。そこで、真如はただ絶対にして、動もなく、不動もなく、生もなく、死もなく、始めもなく、終りもなき大遍満の存在と致しまして、それに無明が働くことによってのみこの世界にもろもろの現象が起る、その現象が人間世界にもさまざまの悲喜哀楽を捲き起す――何の力が無明を働かして左様な現象を起さしめるのか、それがわからないとおっしゃるのでございましょう――」
 弁信が一息にこれだけを言って、ちょっと息をきった時に、神妙に聞いていた池田良斎が、ようやく一語をハサムの機会を得まして、
「いかにも、その通りです、真如絶対だけなら、絶対だから文句はありませんが、この通り世間相――一切万法と言いますかな、吾々までの存在が、その絶対のうちから起ったのはすなわち真如へ無明が働きかけたものに相違ないとすれば、その無明の起るところ、仮りに水と波との如く、麻と縄との如く、真如と無明とは同一物の変形であるとしても、その同一物を変形せしめた力、すなわち海の水を波立たせる業風と言いますか、麻を縄にする指さきと言いますか、その起るところがわからないのです」
 弁信は透かさずこれに答えました、
「御尤《ごもっと》もの質問ではございますが、せっかく御質問なさるならば、もう少しく細かくごらんになって、真如と無明を分つ力をお調べになる前に、真如を真如とし、無明を無明としてながむる、その見方の立場をさきにごらんになる必要があると存じます。真如とか、無明とかを分ち見る心が即ち阿梨耶識《ありやしき》と申すのでございましょう。真如によって無明がありといたしましても、真如は真如、無明は無明でございまして、それを迷うとすれば別に迷い手がなければなりますまい、その迷うところのものが即ち梨耶でございまして……すでに、真如と無明を分つ以上は、ここにまた一つの阿梨耶識という分ち手を加えなければなりますまい。そこで、問題が二つではなく、また三つになってしまいましたのでございます」
「なるほど」
 良斎は深く頷《うなず》いてみたものの、ようやく領分が拡がって、自分が最初に提出した問題が、自分の頭におえないほどひろがって行くのに焦《じ》らされているらしい。それにも拘らず弁信は一向ひるまないのです。
「と申しましても、この三つが全く三つではないのでございます、種が実となり、また実が種となるのでございます、三つと申しましても一つでございます。一つであると申しましても、なぜ一つであるかはやっぱりおわかりにならないでございましょう、それはまたお分りにならないのが当然でございましょう。わたくしは、起信論のうち、別してここが大事というところを承りまして、その御文章を暗記いたしておりますが……それは、無明薫習《むみょうくんじゅう》ニ依ッテ起ス所ノ識《しき》トハ、凡夫ノ能《よ》ク知ルトコロニ非《あら》ズ、また、二乗ノ智恵ノ覚スル所ニ非ズ、謂《いわ》ク、菩薩ニ依ッテ初ノ正信ヨリ発心観察シ、若《も》シ法身ヲ証スレバ少分知ルコトヲ得、乃至菩薩|究竟地《くきょうち》ニモ尽《ことごと》ク知ルコト能ワズ、唯《ただ》仏ノミ窮了ス――とあるそれでございます、これが即ち真如、無明、梨耶、三体一味の帰結なのでございます」
 その時、池田良斎が、うなだれながら手を挙げて、
「いや、少し待って下さい弁信さん、あなたの言うことを一々ついて行ってみたが、もうちょっと追いきれなくなりましたが、しかし、結論はやっぱりわからないところはどうしても分らない、凡夫や二乗にはわからない、菩薩でもわからないところがある、仏にならなければ……ということになってしまっているようですね」
「もう一応お聞き下さいまし、いかにも只今の御文章によりますると、凡夫二乗のやからのとうてい歯のたつところではない、菩薩の境涯でさえもやっとわかるかわからないか、所詮《しょせん》仏如来そのものだけが一切を御窮尽あそばす、とこういうのでございますが、それで絶望をなすってはいけません。そうしますると仏様のみが御承知になっているということを知っているのは誰でございましょう。馬鳴菩薩《めみょうぼさつ》がお書きになった起信論でございますから、仏様のみ御承知の世界を御保証になった馬鳴菩薩は、またその境涯の存在を御存じでなければならないはずではございませんか、仏の持ち給う宝を菩薩が御保証をなさるのでございます。すでに菩薩の御指量をお許しになるとすれば、二乗凡夫のともがらもまたその宝の所在を窺《うかが》い知ることを許されねばならぬ約束ではございませんか。知識は至らずとも、信仰は至るものでございます――起信論の終りに念仏を説かれた古徳の到れり尽せる御親切のほどを思うと、投地礼拝して感泣するよりほかはございません。まことに起信論は論議のための論議ではございません、理窟のための理窟ではございません、闘争のために葛藤を捲き起された次第ではございませんで、功徳の如法性を普《あまね》く一切衆生界に回向《えこう》せられんがための思召《おぼしめ》しで馬鳴菩薩がお作りになったものでございますから、それで、わたくしたちの頭にも、あの一万七百二十七字の御著作の精神が、清水の湧くように融釈して参るのでございましょうかと存じます」
 弁信はここまで喋《しゃべ》り来ったが、それで喋り尽きたというわけでもなし、喋り疲れたというのでもありませんでした。
「で、つまり、わたくしが聞き覚えましたところの起信論の要領というものがだいたい左様なものでございまして、真如が無明によって薫習《くんじゅう》せられて、この一切世間相を生じてまいります。ここに薫習という言葉は梨耶とは別に、また起信論の中の一つの言葉でございますから、これを究めるもまた容易ならぬ論議を生じて参るのでございましょう。同じ薫習の見方でも、唯識論《ゆいしきろん》の方と、起信論の方とは大分ちがいまして、唯識論の方では、能薫《のうくん》となるものは所薫とならず、所薫となるものは能薫とならず、ということに決っているそうでございますが、起信論の方でございますと、能薫となるものもまた所薫となり、所薫となるものもまた能薫となるように説いてございますそうで、そこで、唯識論は、真如をもって能薫の力もなく、所薫の議もなきものとし、真如は薫習に関係のないものとしておりますけれど、起信論によりますと、真如は能薫ともなり、所薫ともなるように説いてございます。また唯識論では、無明というものは能薫とはなるけれども、所薫とはならないとあるのに、起信論では、無明が能薫ともなれば、所薫ともなるように説いてあるそうでございまして、これが、権大乗《ごんだいじょう》と実大乗《じつだいじょう》との教えに区別のあるところだそうでございます……」
 そこへ池田良斎が一つ、くさびを入れました、
「大乗にも権と実とがあるのですか……」
「え、え、ございますとも。従って、小乗にもまた勝と劣とがございますのはやむを得ないとは申せ、同じ一つの仏教のうちに、大乗尊くして小乗のみ卑しとするは当りませぬ、大乗の中に小乗あり、小乗の戒行なくしては、大乗の欣求《ごんぐ》もあり得ないわけでございます、大乗は易《い》にして、小乗は難《なん》なりと偏執《へんしゅう》してはなりませぬ、難がなければ易はありませぬ、易に堕《だ》しては難が釈《と》けませぬ、光があればこその闇でございまして、闇がなければ光もございませぬ……」
「は、は、は、は」
 この時、朗かに鐙小屋の神主さんの笑いが響き渡りました。
「そうです、そうです、弁信様の言われる通り、光があればこその闇で、闇がなければ光もないのじゃ。それを、もう一枚つきつめてしまうと、すべてがお光ばかりで、闇なんというものは無いのじゃ」
 池田良斎は、なんだか頭がくらくらして、議論も、反駁も、ちょっと手のつけられない心持になり、ともかくこの問題は、もう一ぺんも二へんもよく考え直した上で、改めて提出を試みねばならぬという気になりました。
 浴槽の中で三人がこうして論議に我を忘れ、環境を忘れている間、炉辺を守るところの他のすべての連中は、相変らず山の鳴動に胆を冷し、濛々《もうもう》たる灰煙の降りそそぐのに窒息を感じていたが、三人の湯がばかに長いのを思い出して、心配のあまり、様子をうかがいに来て見るとこの有様で、いつ果つべしとも思われぬ長広舌が展開されていることに、呆《あき》れ返らざるを得ませんでした。

         五十二

 それらのことよりも、もう一倍これらの人々を驚き呆れしめたところの出来事は、この三人のうちの二人が、お湯から上ると早々、足ごしらえをはじめ出したことです。
 三人のうちの二人というのは、弁信と鐙小屋《あぶみごや》の神主とのことで、この二人は別段、申し合わせたわけではないが、同時に発足の用意をはじめましたから、一座があわててその発足の理由をたしかめると、鐙小屋の神主さんは、これから焼ヶ岳の噴火の現場へ登れるだけ登って見届けて来るとのこと、弁信法師はといえば、これから安房峠《あぼうとうげ》を越えて、飛騨の平湯の温泉へ参りますとのこと。
 これには良斎はじめ一座が、眼前へ焼ヶ岳の爆破の一片が裂けて飛んででも来たほどに驚きました。驚いたうちにも、神主様の方はまあ修行が積んでいることでもあるし、この辺の主のようなものだからいいとして、弁信の奴がこの鳴動の真只中を出立するとは、いくら盲《めく》ら滅法といっても度が過ぎると感じないわけにはゆきません。ことにあれほど疲労して、三日間も動けなかったものが、起きると、いつのまにか、たぶん口から先に湯の中にもぐり込み、湯の中では、のべつにお喋りをし、湯を出ると早や草鞋《わらじ》をはいて、この鳴動の中をただ一人で出立しようというのだから、呆《あき》れがお礼に来たと思うよりほかはありません。
 そこで、一座が口を揃えて、
「弁信さん、なんぼなんでもお前さんだけは、やめたらどうです、神主様は覚えがあるのだからいいが、お前さん、この道はあたりまえの道とはちがって、日本第一の山奥なんですぜ、それこそ鳥も通わぬといっていい山道なんですぜ、北原君なんぞも、黒部平の品右衛門さんという、山道きっての案内の神様のような人に導かれて行ってさえ、崖から辷《すべ》り落ちて大怪我をしたんですぜ、それにお前さんがこの際、あの通り山鳴りがし、この通り地鳴りがして灰が降っている中を、一人で出かけるなんて、そりゃ大胆でもなんでもありゃしませんよ、無茶というものですよ、馬鹿というものですよ、悪いことは言わないからおやめなさい」
 しかし、草鞋を結ぶことをやめない弁信法師は、法然頭を左右に振り立て振り立てて言いました、
「御親切は有難うございますが、御心配は致し下さいますな。山鳴りのことは神主様が保証して下さいました、山ヌケでございますから、地の裂けて人を陥す憂いは無いそうでございます。でございますから、皆様も御安心なさいませ、わたくしも安心をいたしました。安心を致してみますと、いつまでわたくしもこうして皆様の御厄介になってばかりもおられる身ではございませぬ、とうに出立を致さねばならないのが、今日まで延び延びになりましたのは申しわけがご
前へ 次へ
全44ページ中34ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング