まり大日如来の御垂迹《ごすいじゃく》でございましょうな」
「は、は、は、左様でござらぬ、朝日権現は、すなわち天照大神の御分身じゃ」
「天照大神はすなわち大日如来でいらせられると、たしか行基菩薩も左様に仰せでございました」
「は、は、は、お前さんのは、それは両部というものでしてな、わしはいただきませんよ」
「左様でございますか、しかし……」
弁信法師が、なお何をか続けようとした時に、ズドーンと大鉄槌を谷底へ落したような音がしましたので、
「たいそう、今日は山鳴りがいたします」
今になって山鳴りがいたしますでもあるまいが、ここではじめて弁信の頭が、天変地異の方へ向いて来たようです。
「今日ではありませんよ、昨日からですよ。弁信さん、お前さんには分るまいが、この上の方に硫黄岳、焼ヶ岳という火山があってね、それが昨日から鳴り出したのです」
「左様でございますか、道理で、空気に異常があると思っておりました、灰もずいぶん降っているようでございますね」
「みんな心配しているが、たいしたことはないから安心なさい」
「はいはい。では火を噴《ふ》く山が近辺にあるのでございますね。わたくしも、ある学者から聞いたことがございまして、山のうちには、現在火を噴いている山と、昔は火を噴いたが、今は火を噴かない山と、今こそ火を噴かないが、またいつ噴き出すかわからない山とがあるようでございますね」
「それはありますよ、現に、わたしが諸国を実地に見たところでも……」
神主がなお続けようとしたところへ、また浴室の戸があいて、池田良斎が裸体で手拭をさげてやって来ました。
五十
「湯加減はいかがですか……弁信さん、ようやくお目が醒めたようですね」
「はい、はい、良斎先生でございましたね。おかげさまで、ぐっすり三日の間というもの心置きなく休ませていただいて、ようやく只今、眼が醒めましたところでございます」
「食事はどうしました、いくらなんでも三日の間、飲まず食わず寝たんではお腹が空いたでしょう」
「ええええ、それはなんでございます、休ませていただく前にお蕎麦《そば》の粉を用意しておりましたから、これを枕許へ置いて食事に換えました」
「そうですか。で、起きる早々、こんなに長くお湯につかっていていいのですか」
「鐙小屋の神主様に、いろいろとお話を聞かせていただいておりましたから、時の経つのを忘れておりました」
「身体に障《さわ》りさえしなければ、いくら長くいてもかまいませんがね」
その時、三人が四角の湯槽の三方を占めて、おのおの割拠の形に離れて湯につかり、形だけはちょっと三すくみのようになって、暫く無言でしたが、余人はともあれ、このお喋《しゃべ》り坊主に長く沈黙が守っていられようはずがありません。
「わたくしが或る学者から承ったところによりますと、ヨーロッパにイタルという国がございまして、そのイタルという国にペスビューという山がございました。最初は誰も火を噴いたのを見たものがなかった山だそうでございましたが、今よりおよそ二千年の昔に当って、この山が突然火を噴き出したそうでございます。その時に、山の麓にありましたポンプという大きな町が、あっ! という間もなくそっくり埋ってしまったそうでございますが、さだめてそれほどの町でございますから、何万という人がすんでいたのでございましょうが、それが、やはり、あっ! という隙もなく一人も残らず熱い泥で埋ってしまったそうでございますが、火を噴く山の勢いというものは、聞いてさえ怖ろしいものでございます」
聞いてさえ怖ろしい――ではない、事実、その怖ろしいものが、眼前でなければ耳頭に聞えているに拘らず、弁信の述べたところは、全く客観の出来事を語るに斉《ひと》しいものですから、いくらか安心した池田良斎をして歯痒《はがゆ》い思いをさせずにはおかないと見えて、
「皆さんの前ですが、こうして神や仏が在《おわ》しますこの世界に、人間が左様に自然の惨虐に苦しめられなければならないのはどうしたものでしょうかね、罪も咎《とが》もない生霊《いきりょう》が何千何万というもの、あっ! という間もなく、地獄のるつぼに投げ込まれる理由が、我々共にはわかりません。悪い者が罪を蒙《こうむ》るのは仕方がないとしても、その何万何千と生きながら葬られるものの中には、全く罪を知らない良民や、行いのすぐれた善人や、罪も報いもない子供たちも多分にいたことでしょうに、神仏というものが在しましながら、それらをお救いなさらぬことの理由は、凡夫でなくても疑ってみたくなるではございませんか」
「人間界のもろもろの幸や、不幸や、天災地変といったものを、人間が人間だけの眼で、限りあるだけの狭い世界の間だけしか見ないで判断をするのが誤りの基でございます――人は一人として、罪を持たずに生きている者はございません、もろもろの災難はみな、人間の増上慢心を砕く仏菩薩のお慈悲の力なんでございます」
弁信法師が息をもつかず答えてのけると、鐙小屋の神主が、それに横槍を入れました、
「いやいや、罪なんていうものは元来無いものなんですよ、人間界にもどこにも罪なんていうものはありませんよ。生き通しのお光があるばかりじゃ、天照大神の御分身が充ち満ちているばかりじゃ。天照大神はすなわち日の御神じゃ、八百万神《やおよろずのかみ》をはじめ、我々人間に至るまで、大もとはみな天照大神のお光の御分身じゃ、天照大神が万物の親神で、その御陽気が天地の間に充ち渡り、充ち渡り、それによって一切万物が光明温暖のうちに生き育てられるのじゃ。このお光を受けさえ致せば罪という罪、けがれというけがれ、病という病は、みんな祓《はら》い清めらるるにきまったものじゃ、『罪という罪、咎という咎はあらじ』と中臣《なかとみ》のお祓いにもござる、物という物、事という事が有難いお光ばかりの世界なのでござるよ」
それを聞いて良斎は、けげんな面《かお》をして、
「これは大変な相違です、弁信さんは、一人として罪なきものは無しと言い、神主様は、罪という罪はあらじとおっしゃる、大変な相違ですね。少なくとも有ると無いとの相違ですが、でも拙者としては、あなた方のどっちにも服することのできないのが残念でござる」
神主はそれを軽く受けて、
「これほどはっきりした天地生き通しの光がわからないと言われるのが、すなわち闇じゃ。光はこの通り輝きわたっているのに、それを光と見えんのじゃ」
「けれども神主様……」
池田良斎が続けて言いました。
「平田篤胤《ひらたあつたね》の俗神道大意に、真如《しんによ》ノ無明《むみやう》ハ生ズルトイフモイトイト心得ズ、真如ナラムニハ無明ハ生ズマジキコトナルニ、何ニシテ生ズルカ、其理コソ聞カマホシケレ……とあったのを覚えていますが、そこですね、弁信さんのおっしゃるように、三千世界が仏菩薩のお慈悲ということならば、罪悪の出所が無く、神主様は物みなは天照大神のお光とおっしゃるけれども、夜は闇になり、罪もけがれも、病気もあって、人が現に悩んでいます、やっぱり平田|大人《うし》と同様に、拙者にも、真如から無明の出所がわからない、生き通しのお光から闇とけがれが出るという理がわかりません」
神主様がまたこれに答えました、
「池田先生、あなたは平田篤胤大人なんぞを引合いにお出しなさる心持がもういけません、あの人を学者とお思いなさるか知れないが、あの人は本当の学者ではありません、議論家のようで、理窟屋の部類を出ない人なんですからね、まして本当の神道家でありようはずはありませんよ、日の神の恵みを本当に身に受けた行者でもなんでもありません、日本の古神道の道を唱えた功はありましょうが、神徳を実際に身に体験した人ではないのですよ。そこへ行くと両部もいけません。では、日本で本当に天照大神のお光をわが身に体験した先達《せんだつ》は誰かとお尋ねになれば、それは黒住宗忠公でございますね。あなたが神の道を学びたいとのお心なら、それはどうしても黒住宗忠公から出立なさらなくてはいけません、平田|大人《うし》ではお話になりませんよ」
そこへ弁信が口を出して、
「わたくしは、平田篤胤大人というお方はお名前は承っておりますが、まだその御著書を拝承したことはございませんから、果して神主様のおっしゃる通り、学者であって本当の学者ではなく、議論家であって、理窟屋の範囲を出でないお方で、また果して真に神道を体得したお方であるかないか、そのことは存じませんが、もし真如と無明との御解釈を御了解になりたいならば、それは馬鳴菩薩《めみょうぼさつ》の大乗起信論をお聴きなさるに越したことはなかろうと存じますのでございます……」
五十一
「大乗起信論と申しますのは……」
ここまで来ると、弁信法師の広長舌が無制限、無頓着に繰出されることを覚悟しなければなりません。
鐙小屋の神主も、池田良斎も、お喋《しゃべ》り坊主のお喋り坊主たる所以《ゆえん》を知っても知らなくても、この際弁信のために、饒舌《じょうぜつ》の時とところとを与えて控えるのは、やむを得ないことでもあり、また二人としても、この奇怪なるお喋り坊主から聞くだけ聞いてみないことにはと観念もしたらしく、鐙小屋の神主は相変らず夷様《えびすさま》の再来のように輝き渡っているし、池田良斎は一隅に割拠したまま沈黙して、湯の中で身体《からだ》をこすっています。
さてまた、一方の湯槽《ゆぶね》の隅に短身と裸背を立てかけた弁信は、果して滑らかな舌が連続的に鳴り出して来ました、
「御承知の通り、馬鳴菩薩のお作でございまして、釈尊滅後六百年の後小乗が漸《ようや》く盛んになりまして大乗が漸く衰え行くのを歎いて、馬鳴菩薩が大乗の妙理すなわち真如即万法、万法即真如の義理を信ずる心を起さしめんがためにお作りになったものだそうでございまして、真如と無明との縁起がくわしく説いてございます。わたくしは清澄のお寺におりました折に老僧からその大乗起信論の講義を承ったことがございますが、真如、無明、頼耶《らいや》の法門のことなどは、なかなか弁信如きの頭では、その一片でさえこなしきれるはずのものではございませんが、不思議と老僧の講義を聴いておりまするうちに、しみじみと清水の湧くような融釈の念が起ってまいりまして、およそ論部の講義であのくらいわたしの頭にしみた講義はございませんでした。ちょうど只今、真如と無明の争いを承っておりますうちに、その講義の当時のことが思い出されてまいりました。真如が果して真如ならば、無明はそれいずれのところより起る、という平田先生並びに池田先生のお疑いは決して今日の問題ではございませんでした。真如の中に無明があって、真如を動かすものといたしますと、もはや真如ではございません、もしまた真如の外に無明が存在していて、真如を薫習《くんじゅう》いたすものならば、万法は真如と無明の合成でございまして、仏性一如《ぶっしょういちにょ》とは申されませぬ。真如法性《しんにょほっしょう》は即ち一ということはわかりましても、無明によって業相《ごうそう》の起る所以がわかりませぬ。真如即無明といたしますれば、無明を真如に働かせる力は何物でございましょう。真如は大海の水の如く、無明は業風によって起る波浪の如しと申しますれば、水のほかに浪無く、浪のほかに水無く、海水波浪一如なる道理のほどはわかりますが、円満なる大海の水を、波濤として湧き立たせる業風は、そもいずれより来《きた》るということがわかりませぬ。この風を起信論では薫習と申しているようでございますが、薫習の源が、また真如無明一如の外になければならぬ理窟となるのをなんと致しましょう。世間でよく譬《たと》えに用いまするところの、蛇、縄、麻の三つでございますが、麻が形を変えますと縄になりますが、本来、麻も、縄も、同じものなのでございます。真如と無明とがまたその通り、一仏性が二つの形に姿を変えたものでございますが、その縄を蛇と見て驚くのが即ち人の妄想でございます……と申しましても、巧妙な譬えに
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