じゃないでしょう、灰のあるところには火がなければなりませんからね」
「いや、火じゃごわせん、山の中には熱い腸《はらわた》がございまして、それが息を吹くだけのものなのです。だが、その息がなかなか侮り難いものでしてね、天明三年の浅間山の破裂を御存じでしょう。その次に上州の草津の白根山が破裂しましたね。あの時なんぞは、あなた、浅間山の下に石が降る、岩が降る、日中、これどころじゃありません、天はまっくらで、地には熱湯が湧き出してからに、山の下の田という田、畑という畑は一面に大河になってしまい、そうして、その付近三十五カ村というものが、この熱い泥の中へ陥没してしまいましてね、戸数にして四千戸、人間にしておよそ三万六千というものが生埋めになってしまい、牛馬畜類の犠牲は数知れませんでした」
「おどかしちゃいけません、神主さん、大丈夫だ、大丈夫だと言いながら、そんな実例を引いて人をおどかしちゃ困ります」
「それとこれとは違いますよ、硫黄岳、焼ヶ岳もずいぶん、噴火の歴史を持っているにはいますが、何しろ土地がこの通りかけ離れた土地ですから、人間に近い浅間山や、富士山、肥前の温泉《うんぜん》、肥後の阿蘇といったように世間が注意しません」
「神主さん、我々は噴火の歴史と地理を聞いているのじゃありません、この震動が安全ならば、何故に安全であるか、という理由を説明してもらいたいのです」
「なあに、この震動はこれは山ヌケといって、こうして山が時々息を抜くのですなあ、息を抜いては一年一年に落着いて、やがて幾年の後には噴火をやめて並の山になろうという途中なんですから、たいした事はありません、山の息です、山が怒って破れたのではありません」
「そうですか」
「山が怒る時は、そうはいきません。寛政四年の春、わしは九州にいて肥前の温泉岳《うんぜんだけ》の怒るのを見ました。その時は島原の町と、その付近十七カ村の海辺の村々がみんな流されて、いかなる大木といえども一本も残りませんでした。人間も二万七千人、海へ溺れて死にました。海の中の島が三つとも沈没してしまい、その代りに普賢岳《ふげんたけ》の前の峰が一つ破裂して、海の中に辷《すべ》り込んで新しい島となり、島原の町の南の方へ高さ六七十尺、長さ一里ばかりの堤が出来て海の中へ突出し、その付近は、害を蒙《こうむ》らぬところでも、地面が熱くてとても草履では歩けませんでした。二月でしたが、花の咲く木はみんな咲いてしまいました。ところで、その災難が有明の海を隔てた向う岸の肥後の国にまで海嘯《つなみ》となって現われ、それがためにあちらでも、五千人からの人が死にました。そのほか――」
「もうたくさんです。とにかく、今日のこの鳴動は、それらに比べては物の数ではないと証明なさるのですね」
「左様さ、あれは数百年に一度ある山の怒りでございまして、これは山の息抜きですから性質が違います。そのうち、わしは焼《やけ》へ参って噴火の本元を見届けて来ようと思いますが、今日は皆さんの御見舞を兼ねて、ひとつ皆さんの安心のために、山神の祓《はら》いをして上げたいと思って来ました」
「それは有難いことです、何よりのお願いですな、ぜひどうぞ、お足をお取り下さい」
「はい、はい」
 この時、はじめて神主は足をとって上りこみました。
 この連中、何程の信仰心と、清浄心を持っているかは疑問だが、この際、お祓いをしてやろうという神主様の好意には随喜渇仰の有難味を感じたと見え、それから神主のために祓いの座を設け、有合せではあるが、なるべく清浄な青物類を神前に盛り上げ、御幣《ごへい》も型の如くしつらえました。
 かくて、鐙小屋の神主は恭《うやうや》しく「山神祓《さんじんばらい》」をよみ上げる――
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「高天原《たかまのはら》に神留《かんづま》ります皇親《すめらがむつ》、神漏岐《かむろぎ》、神漏美《かむろみ》の命《みこと》をもちて、大山祇大神《おほやまつみのおほんかみ》をあふぎまつりて、青体《あをと》の和幣三本《にきてみもと》、白体《しろと》の和幣三本を一行《ひとつら》に置き立て、種々《くさぐさ》のそなへ物高成《ものたかな》して神祈《かむほぎ》に祈ぎ給へば、はや納受《きこしめ》して、禍事咎祟《あしきこととがたた》りはあらじものをと、祓ひ給ひ清め給ふ由を、八百万神《やほよろづのかみ》たち、もろともに聞し召せと申す――」
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 さすが信心ごころの程を疑われるイカモノ共も、この時ばかりは、神主の御祈祷に、満腔の感激と感涙とを浮べたものです。
 祓いが終ってから、一座を見廻して、神主が言いました、
「弁信さんはどうしましたか」
「あ!」
 この時に、はじめて一座が舌を捲きました。
 弁信! そうだ、忘れていた、あのこまっしゃくれたお喋《しゃべ》り小法師はこの際どうしている、それは人から尋ねられることではない、こちらが気がついておらねばならぬ、呉越も助け合うべきこの危険の際の、同じ屋根の棟の下の一人ではないか、良斎はじめこの一座が、面を見合わせて言いました――
「ほんとに弁信君は、どうした」
「あの子は眠っています」
「眠っている!」
「ええ、今日で三日目です」
「三日目、その間、飲まず食わず?」
「三日の間は、いかなることがあっても起してくれるなと言いました」
「だって、この際――」
「忘れていました」
「起して来ましょうか」
「そうさ、いくら起すなと頼まれたからといって、この非常の際じゃないか」
 良斎はじめ一座が、自分たちながら忘れ方もここまで来ては、むしろ非人情に近いことを慚《は》じねばならない。それを鐙小屋《あぶみごや》の神主は、
「いやいや、あの子は大分疲れているから、当人がそういう望みでしたら、やっぱり寝られるだけ寝かして、起さない方がようございましょう」
「でも、あんまり長い」
「三日ぐらい寝通すことはなんでもありませんよ、わたしなんぞは、六日一日寝通したことでございましたっけ」
「眠り死ぬということはないですかね」
「眼を醒《さ》ますつもりで寝ていれば、いくら眠っても、眠り死ぬことはございませんよ」
「でも……この際のことですから、弁信さんを起しましょう」
「起さない方がいいです、あんな人は、醒めていい時にはきっと醒めますから、起すまでのことはないです」
「そうですか」
 神主は、弁信の眠りを妨げようとする一座の者を固くいましめて置いて、
「さて、わしは、久しぶりで、お湯をよばれます」
と言って、そのままスタスタと湯殿の方へ行ってしまいました。
 あとでは、炉辺の一座が、この時、はじめて弁信の噂《うわさ》を盛んに唇頭に上せてきました。何ということだ、今まで、小さくともあの人間一人の存在を忘れていたのは、何というおぞましいことだ、こうして家を同じうして、天災に遭《あ》ってみれば、死なばもろともという覚悟をきめて、かたまっていたはずなのに、そのなかの一人を忘れてしまうとは情けないことではないか、もし我々すべてが助かって、あの不具な小法師ひとりを見殺しにしたとあっては、世間への面目はもとより、我々の良心が許さないではないか。
 神主様はああは言うけれども、忘れていたのは我々の落度だから、ともかく彼の熟睡を醒まして、この天変地異を告げて、我々と運命を共にすることに相助け相励ますの誠を尽さなければ、天理人情に反くというものじゃないか。
 誰か行って起して来給え――
 なるほどもう三日目だ、三日眠り通している、「よく寝れば寝るとて親は子を思ひ」という古句もある、この天変地異がなくとも、万一の安否を見てやるのが同宿の相身互《あいみたがい》、かまわないから、誰か行って弁信君を起して来給え。
「心得た」
 そこで、堤一郎は直ちに立って弁信を起すべく、三階の源氏香の間へと走《は》せつけましたが、ややあって、足どり忙しく立戻って来て、
「諸君――いません、あの小法師の姿があの部屋に見えません」
「え」
「次の間にもいません、夜具蒲団《やぐふとん》はちゃんといま畳んだように、きれいに畳んでありますが、本人はいずれにも見えません」
「はて……」
 この際に於ても、これはひと事として捨てては置けない。つづいて二三の人が、追いかけてまた三階へ行きました。
 それらの人が戻って来た時も、前の堤と同様の視察で、寝具はキチンと整理してあるが、人間のかけらはどこにも見えないという報告は同じことです。
「どうしたろう」
「不思議だ」
 この時、裏口から面《かお》を出した風呂番の嘉七おやじが、
「弁信さんなら、もうちっとさっき、一人で風呂に入っていなさるのがそれでがんしょう――もうかなり長いこと、おとなしく湯槽《ゆぶね》につかっていなさるようですが、もう上ったかと見ると、音がしたり、念仏の声なんぞが出てまいります」
「ああそうか」
「なあんだ」
 それで安心したような、気を抜かれたようなあんばいで、一座ががっかりしました。

         四十九

 嘉七の報告通り、もうずっと以前、ちょうど鐙小屋の神主が抜からぬ面で、この炉辺を訪れた時分に、弁信はいつ起きたのか、ぶらりとやって来て、大一番の湯槽の中を、我れ一人の天下とばかり身をぶちこんでおりました。
 適度の湯加減になっている槽を選んで、それに身を浸けた弁信は、仰ぐともなく明り取りの窓のあたりを仰ぎ、ゆるゆる首筋を洗いながら、物を考えているかと思えば、念仏か念経《ねんきん》かの声がする。
 山の鳴動から、この湯壺の底までが地響きをすると言って、一座のイカモノさえ気持悪がって逃げたこの湯槽の中に、弁信は一向そんなことにお感じがないようです。しかし、弁信としては目こそ見えね、耳と勘とは超人的に働くのですから、醒めて起き出でた以上は、この異常な天変地異を感得していないはずはないのです。そうだとすれば普通の五官を持っている人と同様に、多少の恐怖をもって湯に向わねばならないはずなのに、そのことがありません。見えない目を向けた窓のあたりから、昼を暗くする雲煙が濛々《もうもう》と立ちのぼり、灰が降っていることをも感得しているはずながら、それも別段にいぶせきこととも感じてはいないようです。
 そこへ、やにわにガラリと浴室の戸があいて、太陽のようなかがやきが転がり込みました。これぞ、お湯をよばれるといって炉辺を辞した鐙小屋の神主でありました。
「おやおや弁信さん、お目醒めでしたかいな」
「はいはい、そうおっしゃるお声は、鐙小屋《あぶみごや》の神主様でございましたね。先日はあなた様によって命を助けられまして、ほんとうに有難いことでございました、あの時の浅からぬ因縁は、忘れようとしても忘れられないのでございますが、それよりも今もって、私の気について離れられないのは、あなた様のお手はまあ、なんという温かいお手でございましたろう、それからまたあの時にお恵み下さったお粥《かゆ》がまた、なんという温かいお粥でございましたろう、温かいのはあたりまえの炉の火までが、あの時の温か味は全く味が違いました。たとえばでございますね、世間の火で焚いた風呂の温か味と、自然に湧き出づるこうした温泉の温か味とは、同じ温か味でも温か味が違いますように、あなた様のお助けの手はほんとうに温かいものでございまして、あの時に、わたくしの身内に朝日の光がうらうらとさし込んで参りましたような気持が致しました」
 例によって弁信法師は、最初の御挨拶の返事だけがこれです。
「そうでしたか、それこそ朝日権現の御利益《ごりやく》というものですね、つまり朝日権現のあらたかな御光というものが、わしの身を通してお前さんの身にとおったというわけなのですよ」
「左様でございましょう、人間の身体といたしましては、たれしもそう変ったものでございませんけれども、神仏のお恵みを受けると受けないとによって、温か味が違わなければならない道理でございますね。あなた様のお恵みのすべて温かいのは、朝日権現の利益とおっしゃるお言葉を、わたくしは無条件に信ずることができるのでございます、朝日権現様はつ
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