ました。
明日の出立のことには、もはや、お銀様もかれこれ言わないようでしたから安心していると、
「お角さん、わたし、少しばかりお前さんに頼みがある」
改まった口上に、お角さんがドキリと来ました。頼みがあるなんぞと依頼式な物言いは極めて稀れなものですから、あとが怖いという気がしたのでしょう。
「まあお嬢様、そんなにお改まりあそばして、何の御用でもわたくしに仰せつけ下さるのに、否《いや》の応《おう》がございますものですか」
「あのね――明日出立の時、わたしは一緒に連れて行きたい人があるの」
「どなた様でいらっしゃいますか」
そんなことはむしろお安い御用の部類だとお角さんが思いました。何となれば、お銀様のかかりで人一人や二人増す分には何でもないことです。費用といっても結局は自分の懐ろが痛むわけではなし、これに反し人減しを仰せつかって、おとものうちの一人でも、あいつは気に入らないから目通りならぬとでも言われようものなら、それこそ事だが、召しかかえる分にはいっこう差支えないと安心したのです。
そこで、お思召《ぼしめ》しのお連れはどなた、と軽く応答をしてみたのですが、
「それはあの――お前がさっき玄関で送り出していた、あの若衆と一緒に旅をしたいのよ」
「え、え」
お角さんは、思わずお銀様の面《かお》を見上げて、また急にその眼を伏せてしまいました。それっきりお銀様がつぎ足さないものですから、お角さんがようやく口を切って、
「あの、梶川様でございますか」
「はい、あの人を一緒に旅に入れて歩けば用心にもなり……」
「でございますが、お嬢様」
お角さんは、退引ならず一膝乗り出して、
「でございますがお嬢様、あの方はいけますまい」
「どうして」
「どうしてとおっしゃいましても、あの方はあれで、相当の考えがございましょう」
「相当の考えと言ったって、お前、あんな騒動を起して、どこかへ隠れたがっている人だろう、どこときまったところへ行かなければならない方じゃありますまい」
「それはそうでございますけれどお嬢様、こちらでそうお願いしても、向う様も御都合がおありでしょうから」
「でも、お前から言って上手に話せば、承知をしないとも限りますまい」
「それは、お話し申す分には、わけはございませんけれども……」
「では、お前、このことを話して頂戴、そうしてわたしは、これからあの方を自分の駕籠《かご》に乗せて一緒に旅がしたい」
「何とおっしゃいます、お嬢様」
お角は見まいとした、また、見てはならないはずのお銀様の顔を、また見直さないわけにはゆきませんでした。
だがお銀様は冷々《れいれい》として、
「いけないの、お前だって、それをしたじゃないか。岡崎の外《はず》れから、あの方を自分の駕籠に乗せて、相乗りで来たことがあるじゃないの。お前がそれをして、わたしがそれをして悪いということがありますか」
「悪いと申し上げたのではございませんが、お嬢様――」
お角は、言句に詰りました。呆《あき》れたからです。
「わたしはなんだか、そうして歩きたくなりました、あの方と相乗りをして、これでもう安心というところまで、旅をしてみたい気になりました。お前さん、その心持で、あの方にお話をしてみて下さい」
「それはお話を申します分には、いっこうさしつかえございませんが、お嬢様――」
ここでお角さんは、何と要領を伝えていいか、また詰りましたけれども、急に思いついたように、
「お嬢様、あの方は只今、この名古屋にはいらっしゃいませんのです」
「ここにはいないの?」
「はい」
お角さんは急に元気づいてきました。よい口実が出来たものです――
「では、どこにいるの」
「あの――清洲とか言いまして、ずっと遠方なんでございます」
「清洲――清洲は遠方ではありません」
お銀様にピタリと食《くら》ってしまいました。事実、清洲という名だけはお角さんも聞いて知っている。名古屋から上方への方向だということは聞いて知っているが、どのぐらいの距離があるものやら、そのことは一向知らないのです。それで御同様、旅のことであるから、お銀様もやはり御多分には洩れまい、そこで、遠方だと言ってごまかしてしまえば自然この話はうやむや[#「うやむや」に傍点]に解消ができるとこう考えたものですから、そう返事をしたのが誤算でした。つまりお角は自分の知識の程度と、お銀様の知識の程度とを同一に見たことからの誤算でしたが、事実お銀様は清洲というものを知り抜いている。土地そのものとしては、未《いま》だ未踏の地だが、名に聞いているというよりも、元亀天正以来の歴史と伝記の本で暗《そら》んじきっていることを、お角さんは気がつかなかったのがおぞましい。
そこでピタリと抑えられてしまったから、もうお角さんとしては、二言を許されないのです。
しかし、遠かろうとも、近かろうとも、あの美少年が清洲にいることは事実で、そうして上方へ行く途中にはぜひ立寄ってくれ、立寄りますと言葉を番《つが》えてあることも事実なのだから、お角はお銀様にそのことを打明けて、それならば明日出立、清洲のあの方のおいでになるところをお訪ねしての上、万事は、わたしが取計らってお目にかけましょうということで結びました。
そうして、自分の座敷へ帰ったお角さんは、煙管《きせる》を投げ出して、苦笑いが止まりません。
近頃お話にならないお取持ちを頼まれたものだが、どちらもどちら、まあ何という難物と難件を一緒に背負いこんだことか、ばかばかしいにも程があると、一時は呆れ返ったが、そこはお角さんだけにガラリ気のかわるところがあって、そうさねえ、また考えようによっては面白いじゃないか、あの綺麗で気性《きっぷ》のいい若衆を、こっちのお嬢様に押しつけてみるのも面白いことじゃないか――お夏は清十郎、お染は久松と相場がきまり、色事も型になってしまってるんでは根っから受けないね、お銀与之助なんていうのも乙じゃないか、一番ここいらを骨を折ってみたらどんなものか、お角さんの腕の振いどころというのも妙なもんだが、ちっとばかり変った取組みさねえ。だがねえ――何と言っても、こっちのお嬢様が役者が上だねえ。きれいで、腕が利《き》いて、目から鼻へ抜けた子ではあるが、何といってもまだねんね[#「ねんね」に傍点]だからねえ、やがてお嬢様が食い足りなくなって投げ出さなけりゃいいが――だが、そうなったあとが、またまんざら捨てたものじゃないからねえ。
お嬢様のしゃぶりっからしだって、まだまだあの子あたりなら、だしがたっぷり利きますからねえ、やりましょう、やりましょう、ひとつやってみましょう。
お角さんはあわただしく、また煙管を取り上げて悠々と煙を輪に吹きました。
四十五
あんなようなわけで、飛騨の高山の空気が悪化すると同時に、平湯の景気が溢《あふ》れてきました。
高山から平湯までは八里余、かなりの道程《みちのり》ですけれども、高山では遊びにくいものや、この際、保養を心がけるもの、或いは他国の旅人らが一時の避難として平湯の地を選ぶ者が多かったものですから、急に景気が溢れ出してきたということを聞き伝えて、高山を中心としていた芸人共がまた競って平湯の地に入り込み、そのまた景気を聞きつけて、諸商人ならびに近国近在の保養客が、ずんずん押しかけて来るものですから、平湯が思いがけぬ大繁昌を極めました。
といっても、本来いくらもない宿のことですから、附近の農家でも、小屋でも、臨時に借受けの客が溢れ、泥縄のような増築が間に合い、そうして飛騨の平湯が、ここのところ山間の一大楽土になりました。
そのくらいですから、朝も、晩も、浴槽の中は芋を盛ったようにいっぱいで、歌うもの、囃《はや》すもの、男も女も、若きも老いたるも、有頂天《うちょうてん》です。夜はまた広い場席を借りて、商売の芸人を呼ぶことでは事足らず、おのおのの得意な芸づくしがはじまる。
平常の時に於ては、これらの客は、山間田野の無邪気な団体客が一年の保養をする程度であったけれども、今年の景気は全くばかな景気で、来るほどの者がみな有頂天となって、無邪気に保養は忘れてしまいます。
こういう際にあって、人間の風俗が崩れ出すのは免れ難いことと見え、ただでさえ温泉場には、幾多のロマンスが起りつ消えつする習いなのに、こういう景気になってしまっては、若い者同士だけではなく、妻のある夫はもとより、夫のある妻までが、大抵はある程度まで、イヤなおばさんかぶれになるものらしい。
それがまたこういう際に、ある程度まで黙認されるようなことになって、古《いにし》えの時代の歌合《かがい》、人妻にも我も交らん、わが妻に人も言問《ことと》えという開放性が、節度を踏み越させてしまうのも浅ましい。
ここの場所、ここの瞬間だけでは、密会は公会であり、姦通も普通として、羨まれたり、おごらせられたりするうちはまだしも、ついにはそれがあたりまえのこととなってしまって、憚《はばか》る人目の遠慮も必要がなければ、羨み嫉む蟠《わだかま》りというものも取払われてしまってみると、なあにこういう開放時代は、一年に一度と言いたいが一生に一度あるかないのだから、野暮《やぼ》を言うものではない、ここ一日二日の後には、てんでに里へ帰って真黒になって稼ぐのだ、ここは暫く歓楽の世界、苦い顔をすることはない、人のするように自分もやれ、それがええじゃないか、ええじゃないか。
高山でちょっと手を焼いたがんりき[#「がんりき」に傍点]の百なんぞも、こんなところこそあいつの壇場であるべきはずだから、きっと、どこにか姿を見せて、湯気の後ろから山国の女の肌目の荒い細かいを覘《うかが》っていそうなものだが、さていずれを見渡しても当時、この平湯には奴の姿が見えないのは抜かりだとは思われるが、あいつは本来、温泉場は鬼門なので、温泉が嫌いなわけではないが、あいつの肌が駄目なのだ、いや、肌は自慢で見せたいくらいなんだが、五体の中の一部が人様の前へは出せないことになっている、すなわち、研《と》いでも、つくろっても、どうにもならない右の腕の筒切りにされている附根の不恰好というものが、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百の野郎ほどの図々しい面の皮を以てして、はりかくすことのできないという弱味が、人様の前で裸体を見せることを遠慮せしめるという、しおらしい次第になる。
ですから、百はいかに目下の飛騨の平湯が肉慾の天国であっても、そこで衆と共に快楽を共にすることができないということになっているのは、あいつにとって悲惨の至りと言わねばならぬ。
そんなことはどうでもよい、ここに集まる別天地の歓楽の衆の中に、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百がいようとも、女の相場が狂うわけではなく、あいつがいないとしても、色男の払底を告げるというわけでもなく、それぞれ適当に相手にはことを欠かないで、まず腰の曲った年寄と胸紐の附いた子供を除いては、男女ともにお茶を引くというようなものは一人もなかったはずです。
北原賢次一行は、ここへ打込んで困りました。生命に別条はないけれども、内出血がしているから三四週間はかかるという負傷を、ここで療治しなければならぬ、品右衛門爺さんは越中の方へ出てしまったが、高山へ寄りつけないで立戻って来た町田と久助は、お雪ちゃんのことを心配しながら北原の看病です。その間、高山方面から続々来投の客に向って、それとなくお雪ちゃんらしいものの動静を尋ねてみるが、当てになるのは一つもない。
そうしてこの三人は、薬師堂の一間を借りて養生をしながら、みるみる歓楽の天地になってゆく平湯一帯の景気を見て胆を冷してしまいました。
大抵のことには動じないで来たが、この景気と羽目の外し方には呆《あき》れる。人間同士が世間態というものを忘れてしまって、快楽そのものが無方図に許される社会というものを見せつけられて、北原が憤慨したのは、自分は不幸なる怪我で、この歓楽の渦中へ投ずる機能を失った残念さをいらだったのではありません。人の好い久助さんです
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