え、江戸の下谷の長者町へ行けば、泣く子もだまる十八文の道庵を見損って怪我あするな、当時、人を斬ることに於ては武蔵の国に近藤勇、薩州では中村半次郎、肥後の熊本には川上|彦斎《げんさい》、まった四国の土佐に於ては岡田以蔵、ここらあたりが名代の者だが、この道庵に比べりゃあ赤児も同然、甘えものだ、これ見ろ、この匙加減をよく見てから物を申せ、すべて今日まで道庵の匙にかかって、生命の助かった奴があったらお目にかかる……」
 こう言って、右の匙附きの青竹を無二無三におっぷり廻したのには、三ぴんも、折助も、らっきょう[#「らっきょう」に傍点]の味噌漬も、ケシ飛んでしまいました。
 さいぜんからのいきさつを、じっと辛抱して見ていた米友。喧嘩だか、敵討だか、おででこ芝居だか、お茶番だか、呆《あき》れ返りながら、それでも道庵の言いつけ通り手出しを慎しんでいたが、急に舞台が展開して、思い設けぬ道庵先生の武勇のほどを見ると、そっくり[#「そっくり」に傍点]返らないわけにはゆきません。
 最初出発の時、あの青竹へ商売物の匙をくっつけたのは、何のおまじないかと思案に余り、それをまた、ワザワザ道中かつぎ廻ってここまで来たのは全く判じきれない所業と思っていたのに、今になってはじめてそれと分った。
 道庵の匙加減を見ろ、すべて道庵の匙にかかって助かった奴は一人もねえ――それを言いたいためなのだ、それを言いたいために、こういうこともあろうかとの深謀遠慮が、今になって篤《とく》と腑に落ちた。
 おらが先生のすることは、全くソツがねえ、どこまで考えが深いのだか底が知れねえ――と、米友はまた舌を捲いて感じ入ったようです。
 しかし、この騒動が、米友の出動を要求するまでに至らず、自然、血のりを用いたり、川へ泳がせたりすることなく、存外あっさりと解散されたのは、連中が道庵の凜々《りんりん》たる武勇に圧倒されたわけでもなく、これはたぶん江戸より海陸二百八十八里、九州肥後熊本五十四万石細川侯の行列であろうところの供揃いが、下に下にの触れ声で、このところへ通りかかったためであります――それは、折助連は道庵の匙加減に恐れ入ってしまっているところへ、道庵主従に於ては、あえて細川の行列に怖れをなしたというわけではないが、細川侯であるとないとにかかわらず、いったいが大名の行列というものが、道庵と米友の反《そり》に合わないことは中仙道熊谷在の例でもわかりましょう。
 かくてこの一場の活劇は、市が栄えたという次第でした。

         四十一

 道庵主従の不意の出立で、度胆を抜かれた者のなかには意外な人があります。
 それは親方のお角さんでした。
 お角さんともあろうものが、度胆を抜かれるなんぞは、ちと心細い話だが、またそこにはしかるべき理由もあります。
 ああはいうものの、お角さんは内心、今度は大いに道庵先生に期待しておりました。その一つは、先生の口から飛行機の発明のことを聞くと、目から鼻へ抜けてしまったことがあります。この先生の言うことは、ヨタばかりと限ったものではない、その中から、いいところを抜き出せば、とんだ掘出し物があるということを心得ているから、最初この飛行機のことを聞かせられると、それを直ぐに自分の田へ引いてしまったのはこの女の天性で、それは、右の空を飛ぶ機械がもの[#「もの」に傍点]になったら、これで一番こんどは、自分の大山を打つチラシを撒《ま》いてもらおう、手間を頼んで一軒一軒引札を配らせるなんぞは時勢ではない。
 空を飛ぶ機械でもって、名古屋であれ、京大阪であれ、江戸の本場であれ、天の上からこれこれと引札を配らせたら、それこそ満都をアッと言わせるに相違ない、いやいや、引札を配らせるだけではない、その飛ぶところを、木戸を取って見せたってけっこう商売になる! これは一番、目のつけどころだ、と考えてしまいました。
 そこで、よそながら、機械の仕上りを心待ちに待っていたものですが、その当りをつけた相手に無断で出発されてしまったのだから、あいた口が塞がらないのです。
 だが、相手が相手だから、腹を立てても始まらない。
 そのうち、ある人がお角さんに向って、このごろ武芸十八般がやって来て、富士見ヶ原で興行をする当てが外《はず》れ、トヤについて困っているから、あれを救う意味に於て、お角さんに一肌ぬいでもらえまいかと交渉を持ち込んだ者があったけれども、お角さんは鼻の先であしらいました、
「ヨタ者なんぞを相手にしなくても、お角さんには仕事があり過ぎて困ってるんだよ」
 そうこうしている間に、お角さんも、名古屋の空気の大体も、芸事の分野なんぞも、あらましのみ込んで、相当の腹案も出来たけれど、何をいうにも今回の旅は遊覧が名であって、実地は視察の予定に過ぎないし、それに思いがけずお銀様というもののお守役を仰せつかって、それより以上に名古屋でも膝を乗出すわけにはゆかず、また、名古屋を中に置いて事を為さんとすれば、どうしても上方《かみがた》を見て来ないことには、東西をひっくるめての大芝居は打てないわけですから――万事は帰りとして、さあ、もうこの辺で一応金の鯱《しゃちほこ》へもお暇乞いをした方がよかろうという気になったのは、一つは道庵先生に先を越されたその羽風にも煽られたのでしょう。
 そう思い立つと、お角さんとして愚図愚図することはできないから、もう明朝にも上方へ向けて出かけようじゃないか、それには自分たちの方は、あ[#「あ」に傍点]と言えばさ[#「さ」に傍点]だが、お銀様へ御都合を伺っておかなければならぬと、お角さんはともをつれて、本町の近江屋という宿へお銀様を訪れたのはその晩です。
「お嬢様、明日あたり、名古屋をお立ちになりませんか」
「明日」
「はい、もう名古屋も大抵おわかりのことと思いますから」
「明日はいけません」
「お都合がお悪うございますか」
「別に都合が悪いというわけでもありませんが、明日は見物するものがあります」
「おや、まだ御城下にお見残しがおありになりますか」
「城下の見物じゃありません、明日は約束があって、ほかに見に行かなければならないものがあります」
 お角さんは腹の中で、ちぇッと言いました。何の約束か知れないが、大抵の約束なんぞは蹴飛ばして、わたしたちが出かけると言ったら、一緒に出かける気になってくれたらよかりそうなものだ、お角さんの気性として、出かけるときまってからグズグズしているのは、焦《じ》れったくてたまらない。
「お約束でございますか、犬山から木曾川の方へでもいらっしゃるんでございますか」
「いいえ、そうじゃありません、明日は磔刑《はりつけ》を見に行こうかと思います」
「えッ、磔刑?」
 さすがのお角さんも、このごろはどうも度胆を抜かれ通しです。
「磔刑がどちらにございますんですか」
「土器野《かわらけの》というところにあるそうですから、ぜひそれを見て立ちたいものです」
「まあ、土器野に、どんな奴が磔刑にかかるんでございますかねえ」
「それは、この近在の味鋺《あじま》というところに生れた子鉄《こてつ》という強盗なのです」
「まあ――」
 お角さんはお銀様の横顔を見ました。
 呆《あき》れているのです。
 何というイヤなことを言うお嬢様だろう。平常《ふだん》おすすめ申してもなかなか人中へはお出なさらないくせに、明日という日は、進んで磔刑のおしおきを見物に行くのだという。いったい、誰がそんなことをこのお嬢様に焚きつけたのだ、縁起でもない!
 お角さんは、腹の中から縁起でもないと感じました。
 お角さんは、あれほど太っ腹な女のくせに、こんなことにかけては感情が細かいので、不吉なものや、不浄なものをいやがり怖れることが普通以上なのは、一つは商売柄であるところへ、女の弱気の方だけがその辺に集まるものですから、御多分に漏れぬ大のかつぎ屋なのです。
 ですから、今日明日という出立の日、しゃん、しゃん、しゃんとやりたいところへ、出がけにこのお嬢様が故障を唱えるだけならいいが、言うことに事を欠いて、磔刑を見に行くなんて言い出したものですから、その心中の不快といったらありません。
 けれども、お角さんという人は、お銀様にとってどうしても先天的に一目置かなければならないようになっていることは、前にしばしば見えた通りであり、いくら腹がたっても、お銀様の前でばかりはポンポン言うわけにはゆかず、先方に高圧に出られるほど、こちらが腫物《はれもの》に触るような気分を濃くしてゆかなければならない因果のほどは、今日までの例が示す通りです。
 結局、お角さんは、どうしてもお銀様の御意に従わないわけにはゆきませんでした。
 しかし、こういう場合でも、見物に行くところが行くところでありさえすれば、たとえばついでに長良川へ鵜《う》を見に行きたいとか、犬山の提灯祭《ちょうちんまつり》を見たいとかなんとかいうことであれば、そこは進まないながら、お角さんもぐっと呑込んで、「ではお嬢様、せっかくのことに、わたしもおともさせていただきたいものです」とかなんとか出るところだが、磔刑《はりつけ》を見に行くということでは、お角さんはどうしても乗り気になれませんでした。乗り気になれないばかりではない、七里ケッパイというような気がしてお銀様の話から、自分の座、そこら一面になみの花を撒《ま》いてやりたいほどなのを我慢して、
「そういうことでございますならば、よんどころございませんから、明後日《あさって》ということにいたしましょう、明後日なら、キットよろしうございましょうね」
「はい、明後日あたりならば……」
「そんならぜひ、明後日にお立ちを願います」
 お銀様の生返事が気に入らないけれど、お角さんは、明後日ということに念を押して、この宿を出て来ました。

         四十二

 お角さんのイヤがるとイヤがらないとに拘らず、その翌日には、城外|土器野《かわらけの》に於て、磔刑が執り行われるのです。
 今日の磔刑のその当人は、先に七里の渡頭に於て捕われた味鋺《あじま》の子鉄であることは、誰知らないものはありません。
 だが、その子鉄とお銀様と何の関係《かかわり》がある、物好きにも程のあったものだと、お角さんの余憤が止まらないのも無理はありません。
 絶えて久しい磔刑というものを見ようとして、沿道は人垣を築いたこと申すまでもないことです。その間を牢屋から引出されて刑場へ送られて行く子鉄は、大体に於て仕来《しきた》りの通り、裸馬に乗せられて、前に捨札、役人と非人と人足が固めて、そうしていよいよ刑場まで着いて馬から引下ろされた時に、検視詰所の背後から、ちょこちょこと走り出た者がありました。
「お父《とっ》さん、水――」
 これは、小さな尼さんが竹の柄杓《ひしゃく》を捧げている。
 子鉄は振返って、右の小さな尼の面《かお》をよく見たが、やがて捧げられたところの柄杓のままを口につけて、ゴクリゴクリと二口ばかり水を飲みました。
 ところが、そうして父と呼んで、末期《まつご》の水を飲ませた尼は、父から見据えられた面を自分も見上げたが、存外、感情が動きません。泣きもしなければ、別段、目に涙を湛《たた》えているのでもない、もとより嬉しがってはいないけれども、父だという人の今日の最期《さいご》に、特になんらの激動した感情が認められないのは性質かも知れません。
 全く、これで見ると、この児は、父の最期の名残《なご》りを惜しんで、水を与えに来たものではなく、確かに水を持って行けと言われたから、その言いつけの通りにしてみたものらしい。親ながら、父も暫くその顔を見据えただけで、この際、特別な愁歎場を見せないで、仕置場の方へ曳かれて行ってしまったことが、見物にはあっけ[#「あっけ」に傍点]ない思いをさせました。
 親子といったからとて、そう情愛ばかりあるにきまったものではない。
 小さい尼さんは、おつとめを果したが、さてまた検視詰所の後ろへ立戻ったものか、もう少し父のあとをついて行ったものか、手持無沙汰の形でうろうろしています。

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