を聞いても駄目だと、人々はようやくその縄を解いてやって、近所の医者の一間へ担《かつ》ぎ込みました。
 この二つの事件が、外では広くもあらぬ高山の天地を震駭《しんがい》させ、揣摩臆測《しまおくそく》や流言蜚語《りゅうげんひご》といったようなものが満ち渡るのに、この屋敷の内部での動揺驚愕は如何《いかん》……
 早出の大工が中橋のまんなかで生首を発見したのとほぼ同時、代官屋敷の邸内では、離れの芝生の上に、首のない人間の胴体を発見したのは夜番の佐助です。その首のない胴体は陣羽織を着て、だんぶくろを穿《は》いている。
 そこで、また絶叫がある。逸早く馳《は》せつけたのが兵馬――黒崎――それから、屋敷中の者が寄って、そこに集まったが、胴体は依然として胴体だけで、首が無い。
 すべての詮議はあとにしようとも、まずもってこの首をさがして胴にあてがわねばならぬ。
 屋敷の中の隅にも、これに合う首は一つも発見されなかったが、外から注進して来たものがある。その存在のところは前述の通り――そうして人を飛ばせてその生首を取り合わせてみると、この胴体にぴったり合う。それからのことは、風聞やら、揉消し運動やら、てんやわんやでいちいち書いてはおられぬ。
 要するに貸本屋の政公を手引にして来て、ここへ忍び込んだ奴にやられたのだが、ここへ忍び込んだ奴は昨晩に限らない。その以前に宇津木兵馬の枕許を騒がせた奴もある。意趣か、遺恨か、物とりか、それさえはっきりわからぬが、ここにはかなく一命を落した当の主のほかに、生きておるか、死んでおるか、消息のわからなくなった者がある。
 お蘭だ。問題のお部屋様が、影も形も見せない。
 外に向っては流言蜚語《りゅうげんひご》を抑えなければならぬ、中橋の生首は決してお代官の首ではない、あれを、お代官の首だなんぞと口走るものは重刑に行う、ということを布告して置かなければならぬ。内に於ては、死人及び生死不明人の始末と詮議を遂げなければならぬ。
 兵馬には、他の何人よりも思い当ることが多いのである。けれども、うか[#「うか」に傍点]とその緒《いとぐち》を切ってはならぬと思案しました。それ故に、彼はお代官とお蘭との昨夜の行動についても、自分の見聞きしているところの全部を、決して誰にも語りませんでした。
 ただ、その前の日に女房狩りのようなことをして、八幡山の方から、見慣れぬ若い娘をこの代官屋敷へ連れ込んだということは、大抵知れ渡っていることだから、その出来事は隠すことはできませんでしたが、その若い娘の方には、あまり人の注意が向かなかったものですから、兵馬は極めて無事に、その娘を自分の部屋に隠し、且つ、休ませて置くことができました。
 最後に、内外を合わせて陰に陽に手を尽して探った一つの報告として、昨夜であったか、今晩であったか、大井の四辻の駕籠屋へ、お代官からと言って二梃の駕籠を註文した者があるが、その駕籠が、今もって戻って来ない――ということを聞き込んで来た者がある。
 大火についで農兵の調練、それにこのたびのすさまじい恐怖――小さな天地の動揺はようやく静まらず、人心|恟々《きょうきょう》として真相に迷うの雲が深い。

         三十八

 事態かくの如くであるに拘《かかわ》らず、弁信法師はまだ白骨の温泉に眠っているし、救援に出向いて来た北原と、品右衛門と、久助との一行はどうしている。
 しかし、この一行の途中の変事というのも、そう心配するほどのことでなくて何よりでした。
 それは、白骨から平湯へ出るまでの途中のある地点で、北原が岩角から足を辷《すべ》らしたまでのことです。足場が悪かったので、小石が流れる、それに足を浚《さら》われた北原は、ほとんどとめどもなく谷底へ落ちようとして、足に力を入れた途端、手の方がゆるんだものか、また、その際気がかりになって、自身の流れる身体で押し潰《つぶ》してはならないから、放ってやったのか、携帯の鳩が飛び出してしまいました。
 それと共に、ずるずるととめどもなく谷底へ落ちて行く、それを見て久助は、あれよ、あれよと言うばかりですが、品右衛門は早速用意の縄を投げてやったものですが、悪い時は悪いもので、それにつかまりはつかまったが、縄が途中で摺《す》りきれて、もう万事休すと思われた時に、幸いに木の根に、しっかりかじりついて叫んでいる。そこで、つぎ足しの縄が来てようやく引きあげたのですが、もとより生命には別状はないが、足をくじいたり、擦《す》り剥《む》いたり、かなりの怪我をしているから、品右衛門が背中に背負って、そうして平湯へ来て療治を加えているという出来事でした。
 出来事としては怪我の部類ですけれども、鳩が逃げて白骨へ時ならぬ逆戻りをしたということと、これから前途、高山までの強行前進が利《き》かなくなったということは、確かに番狂わせでありました。
 鳩の報告によって、白骨からは第二の救護隊が着いて見ると、まずこの程度の怪我ということで、ホッと安心はしてみたものの、北原君としても、久助さんとしても、まあよかったと言ってのみはおられないのは、お雪ちゃんの立場を思いやって、あの子が自分たちの身の上に、どのくらいの期待と心配を置いているかということを考えると、こうしてはおられないと思います。
 といって、北原の怪我はどうしても、二三日の療養で役に立つとも思われないから、自分は当分ここで断念しなければならぬ、就いては、自分の代りに久助さんを案内に、町田君にでも行ってもらい、そうしてお雪ちゃんを再び白骨へ呼び戻すことだ、白骨でいけなければこの平湯でもよい、平湯を第二の冬籠《ふゆごも》りとして、我々の一分隊がここを占拠して、暮してみるもまた一興ではないか――こんなことに相談が纏《まと》まって、予定よりは二日も遅れて、そうして久助と町田とが飛騨の高山へ着いて見た時は、すでに前記の事態が過ぎ去って、その余雲がまだ雨風を含んで釈《と》けない時でありました。久助さんは、とりあえず相応院をたずねてみたけれども、そこでお雪ちゃんも、その他の誰をも発見することのできなかったのは無論のことです。
 のみならずこの際、他国者が、この界隈にうろうろなんぞしていようものなら、フン縛られてしまうという空気を実際に看《み》て取って、こうしているのも危ないことこの上もないのを感じ、ともかくもこれは一度平湯へ引返して、改めて方法を講じなければならないことをさとり、着いた日に、また平湯へ引返すことのやむを得ない事情になってしまいました。
 これはまた、町田としても、久助としても、この際、至当な態度であって、実は二人が、平湯からこの地へ無事に足を踏み込んだことでさえがむしろ幸いなくらいで、その以前、在留の人や、通りがかりの旅人で、嫌疑だけで、抑留や捕縛の憂目《うきめ》を蒙《こうむ》ったものが幾人もあるとのことです。
 そこで、平湯へ帰ってみると平湯の客がまた意外に混み合ってきたのは、一つは前いうような高山の空気から、この地へ避難した客と、土地ッ子であっても目に立つことを嫌うものが、ここまで遠出をして来たというような、あぶれ気分がないでもありません。
 高山の変事はここまで持ち越されて、湯の中での流言蜚語《りゅうげんひご》は、高山の町の巷《ちまた》のそれよりも喧《かまびす》しいものがありました。

         三十九

 あのことのあったその夜、何者か道庵先生の宿元へ投《な》げ文《ぶみ》をした者がありました。
 それを米友が庭から拾って来て道庵に見せると、道庵は投げ文をひろげて、仔細に読んでいるうち、みるみる顔の色が変わり、
「さあ、こうしちゃいられねえ!」
 それから天手古舞をして身のまわりの整理にかかったのが、米友によく呑込めません。
 しかし道庵としては、かくうろたえるのがあたりまえで、ただいま投げ込まれた投げ文なるものは、確かに道庵に向って、生命を脅《おびやか》すに足るべき果し状同様なものでありました。
 道庵は、米友にさえ聞かすことを憚《はばか》り怖れていたが、その内容を素っぱ抜いてみると、それは安直と金十郎から来た果し状で、その文句には、
[#ここから1字下げ]
「道庵ノ十罪ヲ数ヘテ、之《これ》ヲ斬ルベキコト」
[#ここで字下げ終わり]
 その理由とするところの大要を言ってみると、第一、今度、我々が名古屋へ来て華々しき興行をしようとしたのが、突然、中止命令を受けたというのは、これは道庵の密告が因を為しているにきまっている――
 次に、道庵が長者町へ開業しても吾々へ渡りをつけずに十八文で売り出したために、同業者が非常に迷惑をしていること、且つまた、道庵が日頃、傲慢無礼《ごうまんぶれい》にして、人を人とも思わず、我々をつかまえて三ぴんだの、折助だの、口汚なく罵《ののし》るのみならず、我々の先棒となっている安直先生をつかまえて、ラッキョ、ラッキョ、ラッキョの味噌漬なんぞと聞くに堪えない雑言《ぞうごん》を吐く、道庵自身は相当の実入《みい》りがあるのに子分を憐まず、ためにデモ倉やプロ亀の反逆を来たしたことの卑吝慳貪《ひりんけんどん》を並べ、そのくせ、自分はいっぱし仁術めかして聖人気取りでいるが、今度の道中なんぞも、従者の目をかすめて宿場女郎を買い、或いは飯盛に戯れる等の罪悪数うるに遑《いとま》がない、この上もない偽仁術聖人である。それにも拘らず、到るところで買いかぶって歓迎することの風教に害ある点など、都合十罪を数えて、道庵を名古屋城下から逐《お》い、これを城外に斬ってとらなければならないとの檄文《げきぶん》でした。
 これを見たものですから道庵先生が、急にあわて出して、その翌日早く、今度は本式に名古屋を出立することに決めてしまいました。
 少なくとも飛行機の試乗が済むまでは御輿《みこし》が据わったものと諦《あきら》めていた米友も、足許から鳥が飛び立つように感じたけれども、そこは慣れたものであるし、且つまた先刻、旅の用意済みでしたから、この不時出立の命令にも更に狼狽《ろうばい》することはなく、即日、つまり命令のあった翌日の朝未明に、今度は急角度の転向転換などということはなく、道庵自身もさきに立って、いざ鹿島立ちという時に、道庵が容《かたち》を改めて米友に向っていうようは、
「時に、友様、わしは今までお前に向って隠していたが、実は敵持《かたきも》ちの身なんだ」
 米友は、変な面《かお》をしてそれを聞きました。敵持ちといえば、つまり自分が何か人の意趣遺恨を受けて、敵に覘《ねら》われているということになるのだが、今までそういうことを聞いたこともなし、左様な警戒を試みていたこともないのに、不意に妙なことを言い出されたものかなと感心したのです。
 しかし、道庵先生が急に妙なことを言い出すのは、今朝にはじまったことではないが、今朝は少し生真面目ではあり、出立間際ではあったから、米友も特別に変な面をして耳を傾けていると、道庵が言うことには、
「実は、今までお前にも打明けなかったが、この道庵も花盛りの時、武士道のやみ難き意気地によって、朋輩二三名を右と左に斬って捨てて国許を立退いたものだ」
 始まった! こんなことを本気で聞いていちゃたまらねえ――米友が舌を捲いているに頓着なく、道庵は生真面目で続けました。
 それを聞いていると、道庵は若気の至り、右の次第で両三名の武士を右と左に斬って落し国許を立退いたが、その子弟が絶えず自身の首を覘っている。いつ途中で敵にめぐりあい、名乗りかけられないとも限らないのだから、その時卑怯な真似《まね》はしたくない。実は今朝も出立にあたって、なんとなく胸騒ぎがするのは、虫が知らすというものかも知れねえ。万一そういうことがあった時は、友様、お前にも一つ頼みがあるのだ。
 その頼みというのは、軽井沢の時は、場合が場合だから、お前の助太刀《すけだち》で難を遁《のが》れたが、いつも道庵は、用心棒がなければ独《ひと》り太刀が使えねえということに見られると名折れだから、今度、途中で万が一、いかなる狼藉者《ろうぜきもの》が現われ
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