《ろくしょう》の青いのと、寒椿《かんつばき》の赤いのが快く眼を刺激してうつらうつらした気分に襲われたものです。浅公の弟にしても、こんな場合には幾分、からかい心も出るものと見えて、こうして炬燵に納まり込んでしまってみると、ここへ不意にお雪ちゃんが帰って来た時、ただお帰りなさいでは曲がないと考えたらしいのです。一番、軽い意味でおどかしてやろうとたくらんだらしく、屏風の蔭、炬燵の後ろにひそみ隠れていて、主が帰って度を失う呼吸が少しばかり見てやりたいという気持になったのでしょう。
政どんはこうして、炬燵の中にまるくなっているうち、やがてうとうとと眠気を催してきたのは、金屏風の視覚から来る快感と、炬燵の中の程よい炭火から起る温覚とが、知らず識《し》らず、昨日来の商売疲れを揉みほごして行ったものと見えます。
あっ! と、この甘睡の落ちはなが、何かの力によって支えられたと覚った時に、政公はうしろから押しかぶさる圧覚を感じて、さてはと醒《さ》めようとした時は遅いのでした。自分の首は白い蛇のような人間の腕で、うしろからしっかりと抱え込まれていることをさとりました。
「あ! お雪ちゃん、じょ、じょ、ごじょ……」
と言っただけで、あとは言えないのです。
おそらくこの男は、後ろから巻きついた白い蛇のような人間の腕が、あまり白過ぎたものだから、これはお雪ちゃんの手でなければならぬと見たのでしょう。
自分がうたたねに落ちかけている時に、不意に立戻ったお雪ちゃんは、こっちのおどかしの裏をかいて、あべこべに自分をおどかしにおいでなすったものと、目の醒めた瞬間にはそう感じたが、次の瞬間に於て、その白い蛇のようにからみついた人間の腕というものの、吸い着いた力の予想外に強大なることに驚愕したものらしい、その瞬間に、もうお雪ちゃんのために裏をかかれたという幻覚は消滅して、自分の生命が脅かされているということを自覚した時にはすでに遅く、じょ、じょ、ごじょ……と言って寂滅したのは、冗談――お雪ちゃん、御冗談をなすってはいけませんと、言うべくして言い得なかった言葉尻であると見るよりほかはありません。
政どんの意識はもうそれでおしまいで、あとは、その白蛇のような腕が、ぐったりとした若者をズルズルと引っぱって次の間まで連れて行き、それから、これはまた別の屏風の裏の寝間の背になっている戸棚の中へ無雑作《むぞうさ》に投げ込まれてしまったのです。
甲州の躑躅《つつじ》ヶ崎《さき》の古屋敷で、ほぼこれと同様な不幸な目に遭《あ》わされた一青年を見たことがありました。その時は、もっと念入りに虐待されて、戸棚ではない長持の中に窮命をさせられていたところの、幸内という者の運命を見ましたけれど、今は犠牲者の取扱いに於て、それよりも無雑作であるし、第一、躑躅ヶ崎の時はあらかじめ別の人があって、企《たくら》んで長持へ入れて置いたものを、偶然にもこれと同一の人間が監視に当っていたようなものでしたが、今日のは、犠牲をこしらえた者も、それを守る者も同一人で、かくして狼が羊を取ってくわえて来たように、戸棚の中に政公を投げ込んだ竜之助は、最初の通りその前の夜具の中に身をうずめて枕を高く寝込んでしまいました。
ここで、この室の内外は、以前あった通り寂然たるものにかえってしまったが、今度は、戸も表の方だけは一帯にあけ放してあるし、室内も頼まれもしない外来者が来て、相当に取片づけておいてくれたから、この分なら誰が来て見ても、血のあとなんぞに目をみはるものはありますまい。
こうして、短い日はグングンはしょられて行って、九ツ、八ツ、とうとう暮六ツが鳴ったのに、室の内外は日脚の短さ加減のほかの何者も来《きた》りおかすものはない。
とうとう日が暮れたけれども、物の気配が全く起りませんでした。こうなってみると、物は動かないが、象《かたち》が変るのを如何《いかん》ともすることはできません。
日のカンカン照っている時、縁に立てきった障子の紙の新しいのは、人の心を壮《さか》んにするけれども、日が全く没した時に、中に燈火の気配もなく、前に雨戸が立てきられるでもなく、白い障子紙がそのまま夜気を受けてさらされている色は、また極めて陰深のものになりました。
つまり、日中あけられない戸に凄《すご》いものが漂うとすれば、夜分隠されない障子の色はすさまじいものでなければならぬ。このすさまじい障子の色は、ずんずんこのままで夜色に浸ってゆく。
三十二
こうして、夜はしんしんと更くるに任せて行くが、誰あって障子の肌の夜寒を憐むものはないのです。
無論あのままで、訪ねて来る人も、出て行く人もなかったのですが、夜もほとんど三更ともいってよい時分になると、ひそかにその裏の縁側の南天の蔭が物音を立て、そこから鼠のようになって這《は》い出した一つの人影を見出す――それは、鶴寿堂の若い番頭政吉に相違ない。でもよかった、息を吹き返して、ここまで逃げ出すことができた点に於ては、幸内よりもズット優った運命を恵まれている。やっと南天の茂みから這い出した若者のホッと安心したのは束《つか》の間《ま》――かわいそうにこの若者の後ろにはやっぱりのがれられない縄がついておりました。
その縄を辿《たど》って後ろから続く人影こそは、いつもの通り、甲府の城下でも、江戸の本所でも、夜な夜な一人歩きして、闇を喰い、血を吸わねば生きておられない人。
今晩は一人、お先供《さきとも》があるまでのものです。
つまり、飛騨の高山の貸本屋鶴寿堂の若い番頭、なおくわしく言えば、高山屈指の穀屋の後家さんの男妾《おとこめかけ》を業としていた浅吉という色男の弟だと言われた同苗《どうみょう》政吉――が、この怪物のために時に取ってのお先供を仰せつかりました。
政公の両腕は後ろへ括《くく》り上げられている。そこから長さ一丈ばかりになる一条の縄がつづいて、それが竜之助の片手に取られている。
お猿が、めでたやな、といったようなあんばいに。
政公は今、この一条の縄によって殺活を繋がれながらお先を打たせられている。腰が立つのか、立たないのか、南天をくぐる時からしてこけつまろびつ[#「こけつまろびつ」に傍点]している。
境内《けいだい》を出て、丘を下って里へ出る。
八幡町、桜山、新町の場末を透して加賀の山々を遠く後ろにして例の宮川の川原――月も星もない夜でしたから、先日来の思い出も一切、闇の中に没入され、一の町、二の町、三の町にも人の子ひとり通らない。但し犬は随時随所にいて、遠く近く吠えつつはあるが、特にこの二人にからんで来て吠えつくというわけではない。
こけつ、まろびつ八幡山を下りて来たお先供は、この時分になって、存外落着いて腰ものびてきたかのように、すっくりと立っては行くが、そのすっくりが糸蝋《いとろう》のようで、魂のあるものが生きて歩んで行くとは思われない。
この若いのの兄貴というのが、白骨温泉の夏場、イヤなおばさんなるものにさんざん精分を抜かれて、ちょうど、こんな腕つきで引き立てられて歩いたのを見た者もある。
ああ人が来た、二人、三人、四人、手に手に提灯《ちょうちん》を提《さ》げている。御用提灯だ。御用提灯とはいえ、これは臨時取立ての非常見廻りだ。警戒に歩いているのではない、おつとめに歩いているのだから、そんなに怖がることはない、縄をひかえて物蔭に立寄る間に、やり過すことは水を掻《か》くようなものである。
糸蝋のようなお先供はなんにも言わない、御用提灯が目の前を過ぎても、それを呼びとめて我が身の危急を訴えることさえが、ようできない。本来を言えば、縄はなくともよかったので、この若いのは、行くべきところまで行きつかしめられるまでは、この怪物の身辺から離れることは、ゆるされないように出来ている。
御用提灯をやり過すと、糸蝋のフラフラ歩み行くのは宮川川原を下手に下るので、下手といっても下流のことではなく、川としては多分上流へ向って行くのですが、飛騨の高山の町としては、ようやく目ぬきの方へと進んで行くのですが、まもなく左は今や焼野原のあとが、板がこいと、建築と、地形《じぎょう》とのやりっぱなしで荒《すさ》みきっている。
お先供はどこまでも、宮川べりをのぼりつくすかと見れば、国分寺通りの四角《よつかど》へ来て、火の番の拍子木を聞くと急に右へ折れて花岡の方へと真向きに行く――ここをふらっと行き尽せば灘田圃《なだたんぼ》だ。
だが、なにがなんでも灘田圃へ連れて行って、この若者を生埋めにするつもりでもあるまい。そうかといって、半ば失神のこの若い者が、絶望のあまり灘田圃へ身を投げに迷い込むとも思われない。
その時分、灘田圃三千石の夜の色がいっそう濃くなって、国分寺|伽藍《がらん》の甍《いらか》も、大名田、花里の村々もすっかり闇に包まれてしまい、二人の姿も、もう闇のうちには認めることができなくなりました。
「道を間違いました」
やっと、若いものの声が闇の中から聞えた、ところは辻ヶ森。
それからまたややしばし、郡上街道《ぐじょうかいどう》の真只中にその姿を見せたと思うまもなく、三本松の夜明しのあぶれ駕籠屋《かごや》の小屋へ、外から声をかけた者がある。
「これこれ駕籠屋」
「はいはい」
「代官屋敷の者だがな、これから一時《いっとき》ばかりたってでよろしい、二梃の早駕籠を東川の辻に待たして置いてくれ」
「はい畏《かしこ》まりました、畏まりました」
外で呼びかけたものは内の者の面《かお》をも見ない、内で答えたものは、外の何者かを考えないが、代官屋敷御用の声に権威があって、仰せを畏んで、眠い眼をこすりつつ起き上ったあぶれ駕籠屋の若い者。
三十三
それから、いくばくもなく、代官屋敷の門前の松の木に引据えられて、縛りつけられたところの貸本屋の若者を見ました。
手は後ろへあのままで、余れる縄でもってグルグル巻きに松の幹へ結び捨てられているのだが、口には別段に轡《くつわ》をはめられているわけでもないのに、眼はどろりとして、口は唖《おし》の如く、助けを呼ぶの気力さえないようです。
この分では、夜が明けきって、誰ぞ通りかかりの者の助けを待つことのほか、動きが取れそうもありません。ひょっとすると、舌でも噛《か》み切って事切れているのではないかとも疑われるが、そうでない証拠には、どろりとあいた眼が時々は動いているから、生きていることだけは確かだが、ただこうして夜明けまで置けば凍え死んでしまいはせぬかとのおそれがあるばかりです。
表に斯様《かよう》な変則門番の出来たことを知るや知らずや、広い屋敷の中の別邸のお部屋を、しどけない寝巻姿で、そうっと抜け出した潰《つぶ》し島田に赤い手がら、こってりしたあだものの粋づくり、どう見てもお屋敷風ではない、がこれは昼の時の姿とは打って変ったお蘭の方の閨《ねや》の装いでした。
お手水《ちょうず》に行くつもりだろうが、途中で戸惑いをして、お手水場とは全く違った方向の廊下を忍びやかに歩いて行くのは、おかしいことです。寝ぼけて戸惑いするほどの年でもなし、実のところ、お蘭さんは手水に行くふりをして、全くはそうではないのです。これはあけすけに言ってしまった方がわかり易《やす》い、お蘭さんはこうして、客分になっている宇津木兵馬を口説《くど》きに行くのです。口説きに行くというのが穏かでなければ、からかいに行くとでも言いましょう。
お蘭さんが兵馬に気のあるのは昨日や今日ではない。もっと突きつめて言えば、淫婦というものが持っている先天の血潮が、眼の前に写る年頃のものを、すべて只では置かないという本能がさせるのでしょう。時にここのお代官殿を中に、今の屋敷の近頃の空気そのものが、またお蘭さんの行動に油を注ぐように出来ている。
案の定――兵馬の客となっている部屋の外、それは先日の晩、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百が立ち迷ったと同じところ、そこまで来てお蘭の方は、障子の桟へ手をかけながら、そっと内の寝息をうかがっ
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