屑屋と見定めてかかれば何のことはなかったのですが、事の体《てい》が、充分に嫌疑を置くべき挙動でしたから、多少の手数を以てしても、突きとめるだけは突きとめねばならぬなりゆきに迫られたのです。
そうしている間、例の後ろの高札場と、その傍《かた》えなる歯の抜けた老女のような枯柳が、立派に三枚目の役をつとめました。
柳の後ろに人がいたのです。それはいつごろから来ていたか、よくわからないが、兵馬に介抱された芸妓が、「いくら芸妓だって、あなた、酔興で夜夜中《よるよなか》、こんなところに転がっている者があるものですか……云々《うんぬん》」と言っていた時分から、柳の蔭がざわざわとしていました。
それからは、全く動かなかったのですが、バサバサと御膳籠の音がして、足許《あしもと》から飛行機が飛び出したように、屑屋が、この情にからんだ気流を攪乱《かくらん》して行って、兵馬が射空砲のように、そのあとを追いかけた時分になって、そろそろと柳の木蔭から歩み出して来たのは、覆面をして、竹の杖をついたものです。
音を成さない足どりで、鮮やかに歩み寄って、思わせぶりの芝居半ばで、相手をさらわれ、テレ切っている芸妓の後ろへ廻り、肩へぬっと手がかかったと見たものですから、女が気がついて、
「おや、あなた、どなた……あのお若いおさむらい様のお連れなの」
と言ったけれども返事がありません。
酔ってさえいなければ、もっと強調に、怪しみと驚きの表情をしたのでしょうが、たった今、ようやく酔線を越えたばかり、まだ酔《すい》と醒《せい》の境をうろついていた女には、それほど世界が廻っているとは見えなかったらしく、
「お連れさんでしょう――そんならそうとおっしゃればいいに」
甘ったれる調子で、暫くあしらい、後ろへ置かれた手をも、ちっとも辞退しないで、むしろわざと後ろへしなだれかかって、芝居半ばにテレきった自分の身体《からだ》を、持扱ってもらいたい素振りをしたが、それをそのまま底へ引込むように受入れ、肩へかかった手が、胸へ廻り、首を抱きました。
「くすぐったい」
後ろの人は一切無言でしたが、女は、わざと身悶《みもだ》えをして、
「くすぐったいわよう」
だが、女はその擽《くすぐ》ったさ加減を遁《のが》れようともしないのに、後ろの人は緩和しようともしない。
「まあ、痛いわね」
女は、またわざとらしい悶えぶりをする。
「だんだんに強くなったのね、物凄いわ」
これもいい心持で、するようにさせての女の言い分です。
「まあ、擽るんじゃなくて、締めるの」
その時に、後ろの者の面《かお》が、グッと女の頬先まで来ましたから、女はしな[#「しな」に傍点]をして、首を横へねじ向けた途端――
「おや……」
女は後ろの人の面を見ようとして、覆面に隠されたそれを見得なかったのでしょう、怪しみの声が、急にうめきの声に変りました。
「あ、本当に、わたしを締めるのですか、く、く、苦し……」
大きな蛇が、すっかり、この女の首を捲ききってしまいました。もう、何の冗談《じょうだん》も、持たせかけもありません、大蛇《おろち》の火を吐くような息が、女の頬にかかるだけです。
宇津木兵馬が、屑屋を放免して、そうして、柳の木の下に立戻った時に、その女はそこにいませんでした。
柳の木の蔭にも、無論誰もおりません。
六十八
屑屋を突っ放した宇津木兵馬は、以前のところへ戻って見ると、そこに以前の女がおりません。
柳の木の蔭にも、高札場の石垣の後ろにも、見渡す限りの焼野原にも、いずれにも、人の影を見ることができませんから、一時は夢の中の夢ではないかと、自ら怪しみました。
ふむ、あの気紛《きまぐ》れ者が、僅かの隙にずらかったのだな、千鳥足でフラフラとさまよい歩き、結局は自分の家か、例の清月とかなんとかへでも納まったのだろう――とりとめのない奴だ、と呆《あき》れながら兵馬は、柳の木の蔭を見ると、そこに何か落ちている。
よく見ると、それは、女の赤いゆもじ[#「ゆもじ」に傍点]とか蹴出《けだ》しとかいうものが、ずるりと落ちている。
それを見ると兵馬は、実に度し難いやつは女だと思いました。
女であり、酔っぱらいであることによって、こちらが譲歩して、あれほど世話を焼かせているのに、ようやく醒《さ》めて、独《ひと》り歩きができるようになれば、お礼はおろか、挨拶の一言もなくして、行きたいところへ行ってしまう。こういった奴は、あの女には限るまいが、あんなのは殊にああしたもので、その図々しさと不人情が、商売柄だ――とはいうものの、あの女もああいう商売をして、所々を転々させられている。本当に図々しい、不人情ならばとにかく、あの若さで、あの縹緻《きりょう》だから、相当に納まっているはずなのに、それがで
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