んでじゃなく、わたしたちを懐かしがってあとをつけるのなら、この着物も、全くかわいそうな因縁だと思いますワ、そんなにいやがることはありませんねえ」
「そんなら、その着物はお雪ちゃんへの授かり物だから、遠慮なく身につけているのが、かえって回向《えこう》というものかも知れないぜ」
「それでも、わたしは、これを身につけている気にはなれません、見ると、あの時のことが思い出されて、おばさんがかわいそうでなりませんもの」
「したいざんまいをして死んだのだから、かわいそうなこともあるまい」
「なんにしてもいい、わたしはこの着物を焼いてしまって、おばさんの思いが残らないように――お経をあげてあげましょう」

         四十二

 お雪ちゃんは、その着物を抱えて外へ出ましたが、土手下の枯芒《かれすすき》の、こんもりした中へ、その着物を置くと、自分はひとりふらふらと川原の方へ出てしまって、川原の中を屈んだり、伸びたりして、さまよいながら、胸にだんだん嵩《かさ》の増してゆくのは、燃料となるべき薪《たきぎ》を集めて歩いているのに違いありません。
 薪を集めつつ、河原を進みゆくうちに、採集の興味が知らず知らずお雪ちゃんを導いて、中洲を越えたり、水たまりを飛んだりして、川原の中へと深入りをしてしまいました。
 深入りをしてしまったといったところが、本来、川幅の知れた宮川の川原のことですから、深山大沢に迷いいったのとは違い、深く進んだと思うのが、実は行きつ戻りつしていることに過ぎない。
 そうして、蘆葦茅草《ろいぼうそう》が枯れ枯れに叢《くさむら》をなしているところ、それが全く断《き》れて石ころの堆《うずたか》いところ、その間を、茸狩《きのこがり》か、潮干狩でもするような気分で、うかうかと屈伸しながら歩んで行くと、当然、到着すべき一つの地点に達して、そこで初めてお雪ちゃんが、あまりのことにまた驚愕狼狽《きょうがくろうばい》しなければならぬことになりました。
 その、ある地点……それは、お雪ちゃんが今まで全く忘れていたところのものでありました。前の晩に、この川原をあてどもなく歩いて、そうしてこの蘆葦茅草の中に、ふと白い長い箱のようなものを見出して不審がり、近づいて見ると、それが不吉にも、人間のぬけ殻を蔵《しも》うた棺であることを知り、とてもいやな思いをして、あわてて逃げて帰ったことのあるそのものが、現にまだここに置き放してあるではないか。
 何という冥利《みょうり》を知らぬ人たちだろう、あの時は火事場騒ぎだから、ここまで持って来て置くのもやむを得ないが、今となって、まだ放りっぱなしにして置くとは。
 お雪ちゃんが、それを、もう少し早く気がついたならば、単にこの白いものが、まだ動かされないで置かれてあることだけを知ったならば、一目見ただけでこの場へ来るのをいやがって、前の時のように、眼をふさいで逃げて行ってしまって、いやな感情は消えないまでも、後の問題は残さなかったのでしょうに――それは、接近するつもりなくして接近し過ぎていました。
 その接近があまり急激に来たものですから、接近した時はもう退引《のっぴき》することができません。見まいとしても、その全体を見なければならないところまで来てしまっていた。それがために、見てはならないものを見せられてしまいました。
 特に、最も悪いところの部面が、お雪ちゃんに見せるためにのみ、展開されてでも置かれたようなものを、遠慮も、割引もなくそのまま、いやおうなしに見せられてしまったのは、子供が、不意に後ろから居合抜きに抱え込まれて、奥歯を抜かれてしまって、泣くに泣けないような有様です。
 あの時までは、棺も外面だけでしたが、この時誰がしたか、その覆いが取払われて、そうして、蓋《ふた》がコジあけてある。コジあけた隙間《すきま》が、一メートルばかりの長方三角形に開いて、そうしてそこから中がガランと口をあいているところを、いやおうなしにお雪ちゃんが見せられてしまったから、もう、避けようとしても避けられないのです。面《かお》をそむけても遅いのです。
 かえって、その棺の蓋の隙間に引き入れられて、怖《こわ》いものを飽くまで見なければ、動けない作用にひっかかってしまいました。
 その寝棺の蓋をコジあけたところから、半面を現わしている、棺の主の面。
 それをお雪ちゃんは、一目だけで逃げることを許されないで、後ろに強力のものがあって、その頭をグンと押え、そうして、
「もっと見ろ、もっとよく見ろ、間違えないように見届けろ」
と、ギュウギュウ押しつけられているような、見えない力を如何《いかん》ともすることができません。
「あ、イヤなおばさん――」
 もう泣くにも泣けない、叫ぶにも叫べない、棺の中からこちらを見ている人は、今も問題の、イヤなおば
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