がかエ」
「ええ、そこへもってきて、あのマドロスの奴が、だらしがないんでしょう、言葉がわからないし、あの面構《つらがま》えで、鶏を盗んだりなんかするもんだから、あれは切支丹《きりしたん》の、魔法使いの毛唐だと言ってるんですとさ」
「マドロス君もよくない!」
「よくはないけれども、そんな根強い悪人でもなんでもないのよ、たあいない男なのよ。それを憎んで、あいつを取捕《とっつか》まえて焼き殺してやれ、メリケンの国では、黒人《くろんぼ》を取捕まえると焼き殺してしまうんだから、日本でも毛唐を取捕まえて焼き殺したってかまわねえ……なんて、この頃中からマドロスを、土地のバクチ打や、ならず者が狙っていたんですとさ」
こんな話を、茂太郎は、兵部の娘から聞かされたのは、ここへ飛び出して来る、少し前のことでした。
マドロスがこの娘に対して暴行を働き、行方不明になっていたこと、それが一旦捕まって、村民のためにまたさらわれて行ったこと、それはもう少し以前のことでしたが、茂太郎も、マドロスにはもう多少の憎悪をさえ感じていたのだから、あんまり心配もしてやらないでいたのに、ここへ来て天神山の火を見ると、紅色をした鮮かな火焔の色と、スッテン童子の髪の毛とを思い出しました。
マドロス君も、いけないにはいけないが、焼き殺すというのはヒドい。焼き殺されるのは、全くかわいそうだ……
五
お嬢さんに対して働いた暴行は、憎いには憎いが、そうかといって、焼き殺さねばならぬほどに憎いとは思えない。
現に、再三、その暴行を蒙《こうむ》ったお嬢様自身すらが、それを許しているではないか。
駒井の殿様がああして、物置へマドロス君を抛《ほう》り込んで置いたのは、焼き殺しておしまいなさるつもりではない。再三のことで、あまりといえば許しておけないから、当座の懲《こら》しめのために相違ないのを、大勢がやって来て、担ぎ出し、それを天神山で焼き殺すということになっている。
村民たちに、そんな刑罰を行う権利が与えられているのか。タカが、マドロス君が飢《う》えに迫って、お櫃《ひつ》をかっぱらったとか、鶏を盗んだとかいう程度が、村民の蒙っていたすべての被害ではないか。それに向って私刑を加える――十や十五の叩き放しならまだしも、焼き殺してしまうというのは、それはあんまり酷《ひど》いや――
いやいや、マドロス君を村民が焼き殺してしまおうという理由はほかにある。それは、マドロス君が毛唐であるからだ。
毛唐というものは、つまり日本の国を取りに来るものだ。それだから、当代、二本差している憂国の志士はみな毛唐を斬りたがる。毛唐を一人でも斬れば斬るほど幅が利《き》く、まして毛唐に向って、戦《いくさ》をしかければしかけるほど、その大名の威勢があがる。
相州の生麦《なまむぎ》というところで、薩摩の侍が毛唐を斬って、それから、薩州様と毛唐とが戦争をした。長州でも負けない気になって、下関で毛唐と戦《いくさ》をした。これらの大名連は、毛唐と戦をするだけの勇気があるが、将軍様にはそれが無い――と言って、多くの人たちが歯噛《はが》みをしている。
だから、毛唐は殺すべきものだ。毛唐を殺せば殺すほど、侍としては勇者であり、国としては名誉である。そこで、この浦辺の漁民たちまでが、その気になっているのか。それでも、あたしには、それがわからないのですね。
あたしがつきあっているマドロス君は、眼の色こそ変っている、言葉こそ違っているが、やっぱり日本人と同じことの人情を備えている。人情の長所も備えているし、短所も備えている。この人は、あんまりエライ人ではない、ドコの国にもある、あたりまえの労働者だ。酒を呑みたがるのも無理はないし、飲めばむやみに女が好きになるところなんぞも、毛唐だから特別という廉《かど》はない。日本人だって大抵そんなものではないか。
毛唐は日本の国を取りに来た者だとは言うけれど、マドロス君一人では、日本の国が取れやしない、よし取ってみたって、一人じゃ背負《しょ》い切れまい。
毛唐だからとて憎まねばならぬという理窟は、どうも茂太郎にはわからない。
それならば、毛唐のうちのメリケン人は、黒人と見れば取捕《とっつか》まえて焼き殺すから、おれたちもメリケンを取捕まえて焼くのだ、というのも理窟にはならない。
いったい、人間同士というものは、そんなに憎み合わないでもいいじゃないの。そんなにおたがいにこわがらないでもいいじゃないか。人間はどうも物を怖がり過ぎていけない。獣や、虫なんぞでも、こちらが害心さえ無ければ、向うも大抵お友達気取りで来るものを、人間が彼等を怖れ過ぎるから、彼等もまた人間を怖れ過ぎる。
本来、この辺の浦人《うらびと》なんぞは、そんな惨酷なことをする人間ではなく、最初
前へ
次へ
全81ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング