そうして、この夜は、落着いて、ぐっすりと休むことができました。
 だが、お雪ちゃんに限らず、人というものは、生きている以上は、周囲が穏かならば、自分の心の中が動き出すし、自分の心がやっと落着いたかと見れば、何かまた周囲で煩わしいことが、大きかれ小さかれ、そのいずれかの翻蕩《ほんとう》の中に生きているようなものですから、せっかく、静かなお雪ちゃんの夢が、また夜中に破れ来《きた》ったということは、ぜひもないことかもしれません。
 それはまず、犬の盛んに吠え出したことによって破れていると、次に夥《おびただ》しい人のわめき[#「わめき」に傍点]声が、つい目と鼻のところらしい人家の中から起り出して来たことで、
「何だろう、もう時刻も夜中を過ぎていようのに……」
 お雪ちゃんが、寝床の中で、やや長いこと聞き耳を立てている間に、その人家の罵り声はいよいよ高くなり、全く只事ではないと思わせられました。
 それのみか、今まで、家の中でばかり騒いでいると聞えたその声が、今は室外へ溢《あふ》れ出して来たものです。そうすると、ワッシ、ワッシと何か担いで来るような模様で、それも河原へ飛び出して、川を渡って、お雪
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