は、初対面の自分をつかまえても呼捨てであるが、いわゆる「新お代官」の胡見沢《くるみざわ》をつかまえても呼捨てであり、のみならず尾州家を呼ぶにも同じく呼捨てであり、談が長州、薩摩の大守のことに及ぶと、これらの大名をつかまえ、自分の家の子のように呼捨てにして憚《はばか》らないことのみならず、江戸の将軍一族に対しても、或いは家茂《いえもち》がと呼び、慶喜《よしのぶ》がと呼んでいる。それが夜郎自大《やろうじだい》でするような、衒気《てらいげ》にも、高慢にも響かないで、いかにも尋常に出て来る。さながら、そう呼んで差支えないだけの家に生れた子が、そう呼んでいる通りの自然にしか響かないのです。
 おそらく、この貴公子の唇頭からは、日本の国の中では天皇《すめらみこと》御一人に対し奉りてのほかは、色代《しきだい》を捧ぐる必要のない、御血統に生れ給うたお方ではないかと思われるほど、それほど自然に、この貴公子の尊大な言語挙動が、兵馬の耳と眼に、尋常に映じ来《きた》ることであります。
 そこで、この貴公子に拉《らっ》せられた兵馬は、宮川を前にした大きな一構えの中へ引張り込まれてしまいました。これが多分、川西の
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