は事重大と見て、あわてて道庵を演壇から引き下ろしにかかりました。つづいて、二人、三人、やがて総立ちとなって、道庵の処分にとりかかったので、風雲が急になって、道庵の身が危ない。
事態が全く不穏に陥った時、この騒動が、意外な出来事に転嫁されるようになったのは、道庵にとっては全く助け船でありました。
「熊が出た! 熊だ! 危ない! 熊だ!」
という叫喚が聴衆の後ろの方から起って、道庵|膺懲《ようちょう》のために総立ちになった聴衆に裏切りが出たもののように、まずその声のする方からなだれを打ったのは、思いがけない出来事です。
先を争うて逃げ迷い、わめき叫ぶ有様は、只事ではありません。
「熊だ――」
「熊だナモ――」
その大混乱を突破して、なるほど、小さくはあるが、まだ子供ではあるが、一頭の熊がこの席へ野放しに闖入《ちんにゅう》して来たことは、疑うべくもありません。
人間が驚くが故に熊も驚きます。人間がつかまえようとするから、熊は逃げ惑うのでしょう。道庵によって風雲を捲き起したこの席が、熊の子によって蹂躙《じゅうりん》されてしまっています。
今や、道庵の暴言、失言問題はカッ飛んでしまい、
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