だよ、山川《さんせん》開けて気象|頓《とみ》に雄大なるこの濃尾の天地は、信長や、秀吉のうまれた時と大して変らねえのに、人間というやつが腑抜けになって、英雄豪傑の種切れだ。たまにおめえ、大塩平八郎だの、細井平洲だのという奴が出て来れば、みんな他国者に取られてしまう。なんと情けねえじゃねえか、ひとごととは思えねえよ」
 こういうまくし方では、半畳を飛ばす隙もなかったと見えます。
 一座があいた口が塞がらずに、道庵の面《かお》ばかりパチクリと見つめている体《てい》は、笑止千万です。
 それを道庵は委細かまわずに、ぶっつづけました。
「英雄豪傑なんぞは、乱世の瘤《こぶ》のようなものだから、そんなものは厄介者で、いらねえと言えばそれまでだが、国に人物が出なければ、その国の精が抜けてしまった証拠なんだぜ。気の毒ながら、尾張の国も精が抜けたね、山川は昔に変らねえが、人間の方は、どうしてそう急に精分が抜けたのか――それにはまた一つの原因がある――」
 この辺へ来て、はじめて道庵も、いくらか平静に返り、昂奮からさめたように、調子もいくぶん穏かになって、歴史を典拠として論じはじめました。
 それは、尾州家
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