あるに相違ない。
 喧嘩だ、戦争だ、異国人だ、仏壇を背負い出せということの元のおこりを、一切知り抜いているお角さんには、そのうわっ調子の、薄っぺらの、物影におびえる奴等の胆っ玉のほどが、お気の毒でたまらないのも無理はありません。
 本来ならば、皆さん、そんなに喫驚《びっくり》なさるがものはありませんよ、喧嘩ですよ、喧嘩は喧嘩ですけれど、お相撲さんの喧嘩ですから、少し荒っぽいことは荒っぽいもんでしたが、もう済んでしまったんですよ、驚いちゃいけません、ねえ皆さん――とでも言って、大いになだめにかかるべきところなのですが、前に言ったような虫の居所で、今日は特別に――皆さん、大変ですよ、全く……早くお逃げなさいな、神棚でも、仏壇でも背負えるだけ背負って、猫を踏みつぶさないようにして、早くお逃げなさいよ、異国の船が、たった今三万六千ばい入って来たんですよ、それに毛唐人が五億十万人……全くその通りなんだから、お逃げなさいよ――とでも、大きな声で叫んでやりたいような気持でした。
 そうして、片腹の痛い思いをしながら、やはりこの無人の境に駕籠を飛ばせて行くと、その行手にたった一箇、傍若無人――事実上無
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