米友は大八車を引っぱることを、力に於ては、さして苦としませんから、このまま、ずるずるべったりに、目的地の名古屋城まで、車力に代ってやってもいいと思いました。
この時、米友の引っぱって行く車の後ろの方から一つ、飛ぶが如くに現われたものがあります。
今まで、米友以外には無人の境であったこのあたりに、右の一つが、その空気をかき飛ばしつつ進んで来るのは変っていました。前に向って一心に車を引いている米友には、その影もみえないし、おそらくその物音も聞えないに相違ないが、後ろの一つが、かえって前を行く米友の車に、一方ならぬ怪異を覚えたのでしょう。
この、後ろから飛ぶが如くに現われた一つというのは、女興行師の親方お角さんを乗せた一梃の駕籠《かご》でありました。
ああして、中ッ腹で鳥居前を出かけたのだが、名古屋まで行くのに、駕籠をそんなに飛ばせなくてもいいはずだが、自分の気が焦《あせ》るのではない、駕籠かきそのものが、この空気に怯《おび》えて、そうして、おのずから早駕籠になってしまうのでしょう。
駕籠の中で女長兵衛をきめこんでいるお角さんは、やっぱり事の体《てい》を見すましては片腹痛くしつつ
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